緊張の連続

新しい職場、しかも試用期間中ということもあり、子どものことで休みを取るのはものすごく気が引けます。


今のところ、近くに住んでいる母に頼り、半日でも毎日出勤するようにしているのですが、子どもに対しても、仕事に対しても、とにかく神経を使いまくり。

半休取ることについていやな顔をされるということはないのですが、うっかり「子どもがこんな状態で・・・」と必要以上に訴えると、“余計な感情的なおしゃべりは必要なし”という対応をされるので、しまったー、と思うことも。


べたべたしたところがなく、実にビジネスライクに職場が運営されているので、ものすごくやりやすいのですが、プライベートの状況が切羽詰ってくると、さすがに神経が磨り減ります。はひー。


ところで、もはや叩かれるために書いているのかという風情の、NBonline 遙洋子の「男の勘違い、女のすれ違い」

しかしながら、今回の「女医の増加をジェンダーで見る」には、いくつか賛成できるところも。

特に「自分が選んだ職業への覚悟が足らない」という指摘は、一介の事務員であるところの私にとっても痛い。まったくそのとおりだから。


で、こちらもまたそのとおり。

女医は、子供の手を引いて仕事場に駆けつけなければならない現実から解放してほしいと病院に要求するが、それらの背景には「育児は女の仕事」という思い込みがある。夫婦そろってそう思い込んでいると、問題解決は労働環境の改善だと疑うことなく直結する。だが、その思い込みがジェンダーなのだ。改善要求は職場に対してではなく、目前の夫に対してであるかもしれないというのに。


妻が医師であることへの夫や家族の覚悟が足らない


妻が働く女性であるのに、育児の大半は妻任せ、料理ひとつできない。そのことに疑問すらもたない男性は、やっぱり多い。

今は大変協力的な夫にせよ、当初「どうして夫の仕事ばかりが優先して支えられなければならないのか?」と聞いたら、「どうしてだろうね」と言っていたくらいだから、他は推して知るべし、だろう。


「夫を変える(もしくは替える)ことは難しい。だから職場を変えよう。職場を変えて、そこで働く男たちの意識が変わったら、いつかは夫も変わってくれるかもしれない」・・・案外、そんなふうに思って女性活用推進に取り組んでいる女性も多かったりするのかも。

「そういう文句はダンナに言ってくれよなー」と思いながら、男性管理職たちが「ダイバーシティ推進のための意識改革」にコミットしているのだとしたら、そりゃいつまでも噛み合わないよな。


自分の問題、夫の問題、そして職場の問題を、きちんと切り分けて考え、伝えられるようにならなければ、働く女性が結局どこで悩み、つまづいているのか、周囲には伝わらないのではないか。