科学コミュニケーションについて

その麻理香さんの今日の記事を読んで思ったこと。


私そもそも「科学技術コミュニケーター界隈」というものがよくわからないのです。

「科コミ」「科技コミ」っていう、なんだかなーな略語をつくって喜んでしまっている時点で、思いっきり内向きなサークルになってしまっている気がする。


あの界隈にいる人たちで、「読ませる」文章を書ける人はほとんど見たことがありません。

「振り向かせること」「聞かせること」「読ませること」ができなければ、そもそもコミュニケーションが始まらないのでは?

少なくとも私は、自分に魅力ある話ができないことを棚にあげて、「科学リテラシーがない」「マスコミが注目しない」と大衆をおとしめて安閑としているような鈍感さはもちたくない。


そもそも、どんな分野であれ文章を売ることなど難しいのに、題材を科学にとったからといって、「優先枠」で売れるはずがないと思うのです。

売れないミステリ作家が、「大衆はミステリリテラシーがない」と文句を言うでしょうか? (あ、私はミステリ大好きです)


正直に言って、今の時代、最先端の専門的なトピックなら、それを手がけた研究者自身がもっとも良いコミュニケーターとなることがしばしばだし、それ以外の話題や題材なら、でんじろうさんや麻理香さんのような卓越した芸がなければ、世間の耳目を集められるはずがない。


今の「科学技術コミュニケーター界隈」の問題点は、そのプロ意識の不確かさ、立ち位置のあいまいさにあるのではないかと思っています。

研究者としても二流・三流、物書きとしても同様、では、誰がそんなコミュニケーターたちの話を聞くでしょうか。

そこで官の威力を借りるようではどうしようもないと思います。


だから、麻理香さんはよけいな雑音は気にしなくてよ~し!


以上、今は科学コミュニケーション活動を休止しているものの、本来それを志す者として自戒をこめて。