上野千鶴子週間

先週、ジュンク堂内の「上野千鶴子書店」で2冊ばかり買っていた本を読了。

一冊は、小倉千加子さん・富岡多恵子さんとの鼎談集

男流文学論
男流文学論
posted with 簡単リンクくん at 2006.10.14
上野 千鶴子〔ほか〕著
筑摩書房 (1997.9)
通常2-3日以内に発送します。


もう一冊は

サヨナラ、学校化社会
上野 千鶴子著
太郎次郎社 (2002.4)
通常1-3週間以内に発送します。


「男流文学論」は初版が1992年と、ずいぶん昔である。が、小気味よさはちっとも色褪せず、鮮やかだ。私にとっては至芸に思えるけど、男の人はイヤだろうなあ。実際、夫に目次を見せたら「恐そうだから読みたくない」と後退りしていた。こういうのをおもしろがれるような、懐の深い男の人がいたら楽しいのに。


それはさておき、俎に乗せられている殿方は、吉行淳之介島尾敏雄谷崎潤一郎小島信夫村上春樹三島由紀夫の皆さま。恥ずかしながら、島尾敏雄小島信夫は一度も読んだことがなかったので、「なるほどねー」という感じ。また、谷崎はわりと好きなので、あまりコテンパンにやっつけられていないことにホッとする。

残りの三人、吉行淳之介村上春樹三島由紀夫に関しては、私がずっと感じていた気持ち悪さがズバズバと暴かれて、気持ちのよいことこの上なかった。この三人とも(私は大江健三郎もつけくわえたいけど)、女の人が嫌いなんだろうなあ、ということは何となくわかっていた。しかし、今回私が膝を打ったキーワードは「通俗」である。「こんなに女性に無理解な男が、なんで女を知っているということになっているのか」(「砂の上の植物群」)、「ありきたりのただの女嫌いじゃないの」(「ノルウェイの森」)などなど、引用しだせば切りがない。


決して男性経験が豊富でない私が言うのもおこがましいが、男の人って、なんであんなに通俗的で、ステレオタイプで、カチカチ頭が好きなんだろう。そのくせ、マニュアル人間と言われることは毛嫌いする。そして、この矛盾に強い鬱憤を感じているようにも見える。吉行・村上・三島の三人は、その意味において「男の中の男」であるからこそ、男性の支持を受けるんだろうな、などと考えた。(今は受けないかもね)

ペンキ絵みたいに「男らしい男」なんて女は(私は)求めていないのに。でこぼこしている男の人が魅力的なのに。男性が求める男性像は、なんかいびつ。でも、これは女性が追う理想の女性像が男性の支持を受けないのと一緒かも。


高校生の頃、村上春樹の全作品を憑かれたように読みあさり、一転して大嫌いになり、「ハルキ弾劾」なる一文を草して、クラスに回覧したことがある。彼の描く妄想に合わせようとする女の子たち(最初は私もその一人だった)も、媚びているように見えて嫌だった。

でも、最近の村上春樹は嫌いではない。何が変わったんだろう。どこが転換点だったんだろう。子どもまでできて、ある程度ふてぶてしい女になった今なら、冷静に読めるかもしれない。今度ゆっくり読み返してみよう。


眠くなったので、「サヨナラ、学校化社会」についてはまた明日。