こうして、太宰の最後のサービスが始まった。ぼろぼろの体に鞭打って彼は書く。「斜陽」と「人間失格」の二大作である。「斜陽」の音楽性と、「人間失格」の計算しつくされた冷たい、不気味な美しさ。死を予想していなければ書けないものだ、と思う。また、この間に書かれた「酒の追憶」「美男子と煙草」「眉山」の3つの短編には、再び戦時中の明るさが無理なく戻って来ている。
「人間失格」を脱稿すると、彼は一転して軽すぎるほど軽い、ほとんどしようもない、と言えるようなユーモア小説「グッド・バイ」(名前からしてふざけているのであるが)の連載を始め、その途中で死亡する。
−−アカルサハ、ホロビノ姿デアロウカ
これは中期の作品「右大臣実朝」の、実朝がつぶやいた言葉である。あの「人間失格」を書いてしまった太宰に残っているのは“アカルサ”のみであり、それは“ホロビ”に直結するものであったのだ。ただその“アカルサ”の品が、戦時中に比べてやや下っているのが残念である。それも、追いつめられた太宰の状況を物語っていると思えば、哀れなのだが……。
なお、太宰の死を情死、と言うのは当たっていない。いや、事実そうなのであるが言葉が悪い。太宰と富栄さんは、太宰の病気がいよいよいけなくなったら死のう、と約束していた。それまで富栄さんは太宰の健康に懸命に尽くしている。太宰は、病死したのである。
−−修治さんは肺結核で……二度目の水が溜り……もうだめなのです。
−−せめてもう1、2年生きていようと思ったのですが、妻は夫と共にどこ迄も歩みとうございますもの。
<山崎富栄手記>
聖諦の太宰治。ところが彼は、独り十字架にかかることがどうしてもできなかった。彼には「駆込み訴え」のように激しく自分を愛し、自分を十字架にのぼらせ、自分と共に死ぬ、優しいユダが必要だった。彼は淋しがりやのゆえにイエスにはなりきれなかったのだ。
III.終わりに