太宰治論
「聖諦へ〜太宰治と井原西鶴」
目次
I.はじめに
II.西鶴から見た人間太宰治
(1)倫理−「武家物」より−
(2)滑稽、おどけ−「町人物」「雑話物」−より
(3)“聖諦”へ−西鶴以後ー
III.終わりに
参考文献
要旨
一般的に、太宰治という人は、破滅へ向かってまっしぐら、下降指向の人生を歩んだ人だと受け取られているようである。
しかし、それに疑問を持った私は、太宰の二人のライバルである井原西鶴と、イエス・キリストから見た、上昇指向の太宰治を検証してみようと思った。ただ、イエスはあまりにも重い存在なので、文学上のライバルである西鶴に重点をおくことにする。紙数も力量も足りないからである。
太宰は、もともと誠実、正義といったものに対する、厳しい倫理観を持っていた。
ところが、彼のいわゆる「前期」において、その倫理に反する事件が次々とおこる。太宰はそれらの事件のうち、自分がおこしたものに対しては激しい罪の意識を抱き、他人がおこしたものに対しては深い恨みを持ちつつ、間接的に自分が他人をそうさせたのではないか、と苦悩した。
自分も他人も共に愛そうとするつらい努力が続く。そんな状況の中で、太宰は純粋な客観描写をもって、高らかに人間の信義や愛情を謳った西鶴にあこがれる。主観のみで書くようになっていた太宰は、ついに沈黙する。
沈黙を破った太宰は完全に生まれ変わっていた。自分が選ばれた存在であり、「前期」で味わった苦悩を文学的に昇華すべきであることを認識したのである。
彼は、西鶴の良さ−多面的なものの見方、題材の範囲の広さなどーを完全に自分のものとした上で、次々と珠玉のような作品を生み出していく。
そして、深い人間肯定の精神をもって人間の本質を探究し続けた西鶴に対し、人間への誠実・愛情を持つ苦悩の文学的昇華、という新しい小説分野をひらいた太宰は、それが完成したときに太宰流西鶴「新釈諸国噺」を書き、西鶴と訣別した。敗戦の一年前のことであった。
イエスをこの世で一番美しい“人の子”として溺愛し、ライバル視していた太宰。
ライバル視というより、その聖性へのあこがれを抱いていた太宰は、その希有な純粋性によって、自分も十字架にかかることを信じる。
選ばれて苦しみ、人を愛したイエスが十字架にかけられたからには、選ばれて人を愛する苦しみを書いた自分も、というわけである。
「新釈〜」で自分の任務を終えたと思った太宰は、澄んだ気持ちで「津軽」などを書きながら、戦争による死、という形で十字架が与えられるのを待つが、敗戦。
太宰は激しく混乱し、再び苦悩の文学的昇華を始める。今度は心に余裕がないため、「中期」のようなおおらかな倫理の称揚もない。しかし、病気という姿で二度目の十字架が与えられた。
透徹した作品「人間失格」を書いた後、再び聖諦のうちに、今回は死んだ。
淋しがりやのゆえに、山崎富栄という優しいユダを伴って。
—
1991年(平成3年)
中学3年生

トラックバック URL
トラックバック
コメントのフィード
Comment feed
コメント(承認後に公開されます)