鳩山総理が、民間の声を直接聞く「リアル鳩カフェ」を開催されるとのこと(第1回リアル鳩カフェについて)で、応募してみました。
第一回は、これからの日本を担う子どもたちの育つ環境などについての「子育てカフェ」だそうです。
所定の質問事項については、以下のようにお答えするメールをお送りしました。
⑩以下の質問事項への回答(それぞれ140字以内)
Ⅰ 今、子どもを育てていて、幸せだと感じることは何ですか?
一人の「ひと」の成長に日々立ち会えることです。そして、喜びや悲しみやいらだちを共に分かち合い、楽しんだり、乗り越えたりする経験を家族で共有していけることが、何気ないようですが、幸せだと感じています。
Ⅱ 毎日の生活で一番の課題だと考えることは何ですか?
時間と心のやりくりです。今般の不況下、仕事に精一杯の時間及び精神的リソースを割く必要がありますが、それと同じかそれ以上のリソースを、成長期の子供にも割く必要があるため、優先順位のつけ方に日々苦慮しています。いろいろな意味で、ゆとりや溜めのある生活をしたいと思っています。
Ⅲ 今、一番関心のあるニュースは何ですか?
教育に関する公的費用の配分です。自分の子供が安穏に成長していけるだけでは、将来への不安はぬぐえません。子供がいずれ机を並べるはずのすべての子供が、平等に教育を受ける権利を得られることが、将来の社会の礎を築くことに重要であると考えています。
Ⅳ 日本がどんな国になったら良いと考えますか?
生まれや能力の特性によらず、すべての国民が自分の望むライフスタイルを手に入れ、そして互いを思いやり、助け合っていける国になってほしいと思います。嫉妬や恨みを原動力とするのではなく、希望を原動力とする国をつくっていきたいと考えます。
Ⅴ 鳩山総理に伝えたいことはありますか?
私は一人のワーキングマザーに過ぎません。ロールモデルとして取り上げられるような華々しい経歴をもつわけでもありませんが、大多数の日本の共働き家庭とおなじく、ときに嘆き、ときに喜びながら、子供と社会について、それぞれの立場で考え、働きかけていると思います。「土着の声」を是非お聞きいただきたいと思います。
Ⅵ どうして「鳩カフェ」に参加したいのですか?
先日の選挙で、日本を変えるには民主党に政権をお任せしなければと一票を投じた者として、政権交代後の貴党のご活躍を応援して参りました。自身、博士号(理学)を有する民間の人材として、科学技術政策と知材政策に関わる事業仕分けの議論にも参加いたしました(拙ブログ「科学と生活のイーハトーヴ」 ≫ 科学技術関連事業の仕分けについてhttp://bit.ly/1i5JpH)。ぜひとも鳩山総理と直接お目にかかり、そのご謦咳に接し、今、子育てにおいて働く親たちが直面している経験および実感の一端なりとも、ご参考までにお話しさせていただければと思っております。
なにとぞ、ご高配のほど、よろしくお願い申し上げます。
私は、今の日本を変えるには政権交代が必要であったと考えていましたが、当然のことながら、野党に下った自民党の中にも、素晴らしい政治家の方は多くいらっしゃると思っています。
しかし、今、国を動かす力をもっとも強く握っている方々に、お話し申し上げたいことはたくさんあります。
あくまで私が望むのは、政党間の権力争いではなく、健全な政策論であることをご理解いただきたいと思います。
私が取り上げていただけるかはともかく、総理(または現政権)の子育て政策について、直接お話されたいことがあるかたは、応募されてはいかがでしょうか。
ちょっと前まで、子供が起きているときでも、ちょくちょくパソコンを開けたり、iPhoneをいじったりしていましたが、さすがに良くない気がふつふつとして、最近は控えるようにしています。
子供に不満を言われたわけではなく、ただ私自身が「これはいかんよな」と思っただけなのですが。
私の勝手な感じ方ですが、新聞や本を読んでいるときと、パソコンや携帯(iPhone)をいじっているときとでは、傍からの「話しかけやすさ」が違う気がするのです。
パソコンや携帯は、その先でつながっている相手が見えにくいから、より「内にこもっている」感じを強く受けるのかもしれません。
いつもそっぽを向いていたり、背中を向けている、話しかけにくい親ではいたくないなと思いました。
あくまで私の思いなので、子供はさほどにも感じていないかもしれませんが。
やたらと子供にかまいたいというのではもちろんなく、なんとなく子供との間に垣根はつくりたくない、という気持ちです。
一日子供といっしょにいるなら、親と子供が違うことをしている時間があるのは当然ですが、時間が限られている平日の子供が起きている時間くらいは、パソコンなどを開けないことにしようと思っています。
一日仕事して、家事して、子供の面倒みて、だと、自分の裁量で使える時間というのは皆無に近いので、ふと自分に戻る時間がないのは、つらいところではありました。
ただ、少し前までは、そのつらさが無視できないほど大きかったのですが、最近は子供との意志疎通がしやすくなり、夫の協力も以前よりさらに得られるようになったことから、さほど「自分だけの逃げ場」を必要としなくなってきたようにも思います。
自分が楽になるために必要だ、と思っていたものに縛られたり、振り回されたりすることはあるもので、それを排除してみると、わりに快適にここしばらくを過ごせています。
昨年中は、まことにお世話になりました。
本年も何卒よろしくお願いいたします。
皆さまにとりまして、今年一年がますます実り多いものとなりますよう、お祈り申し上げます。
どんどん不幸になっていく米国の女性たち - JBPress
「母親の自己実現のために」育てられた子どもが背負う呪縛 - シロクマの屑籠(汎適所属)
というふたつの記事を読んで、割り切れない思いが残りました。
「女の身でありながら」仕事と育児、さらに趣味の時間を楽しもうとしていると、しばしば「自己実現第一のスーパーウーマンを目指している」ととらえられがちで、何やら落ち着かない気持ちになるからだろうと思います。
自己実現とは本来、人が生きていくためのポジティブな力になるものであるはずですが、なぜか「“女性の”(あるいは母親の)自己実現」という文脈で語られる場合、「自己中心」「自己満足」「なんでもほしがる欲張り」といった否定的な意味合いが強くなるような気がします。
つまり、「“女性の”(あるいは母親の)自己実現」とは、「する必要がないことを無理してやっている」という主張とすりかえるように使われがちなのです。
そして、上に挙げた記事でもそれは同じです。
JBPressの記事では、「米国女性の8割が日常的にストレスを感じている」という調査結果と、それが自己実現の呪縛によるものだという結論を結びつける根拠は、この記事を書かれた方の印象にしかありません。
また、p_shirokumaさんの描き出す「スーパーウーマン」は、一昔前の「教育ママ」「お受験ママ」のステレオタイプのような、視野が狭く浅薄で、滑稽な存在に見えます。
母親の仕事や育児が、それほどハタ迷惑な「自己実現」でしかないのなら、父親の仕事や育児はなんなのでしょう?
自己中心的で浅薄で、いつも不幸を嘆いているような欲張りな「スーパーウーマン」なるものののイメージを、世の働く女性や子育てする女性全体にかぶせられてはたまりません。
私について言えば、毎日バタバタして、大変なときもありますが、それを「ヒステリックで不幸な自己実現狂」みたいに言われてしまうのは、何やらすりかえられた印象を押しつけられてる感があって、気分の良いものではありません。
「しなくてもいい苦労を背負うから不幸なのだ」と決めつけは、それが私への否定であればまた良いですが、「お前がしなくてもいい苦労を背負うから、夫や子供がかわいそうなのだ」と決めつけられると、しんどいものがあります。痛くもない腹だって、見当違いに探られ続ければ不快なのです。
大抵の親たちは、共働きだろうが片働きだろうが、楽しいけど大変、大変だけど楽しいって毎日なのではないでしょうか。親でない人たちだってそうであるように。
大変なときには愚痴のひとつやふたつ(みっつやよっつ)出るでしょう。だからといって、全身愚痴で凝り固まってるわけじゃなし、手抜きも息抜きもして、バランスをとっているだろうと思います。
ただ、あんまり手抜きしてるよー、息抜きもしてるよー、とうかつに外では言いにくいような気もして、それが問題であるとも思います。
ちょっとでもニコニコしていたらその人の「大変さ」は無視されてしまうとか、必要以上に不幸アピールをしなくちゃ助けを求められない、というような雰囲気があるように思えてならないのです。
これは内田樹さんの「不快という貨幣」の話とも通じるかもしれません。そして、私の中にもそのような価値観が忍び込んでいないとも言えず、ときおりヒヤリとします。
ニュースや投稿欄などを見ていると、専業主婦が保育園の一時預かりを利用することや、生活保護家庭がたまに外食することさえ許容しない、というような狭量さを見せつけられることも多く、ため息が出ます。
誰かに手を差し伸べるとき、いちいちその人の不幸度を査定しないと、誰が、何を損するのでしょうか。
極端な不幸をアピールしないかぎり話を聞いてもらえない、手助けしてもらえないという状況が続くと、たぶん人はどんどん大げさでヒステリックな訴えの仕方を選択するようになるだろうし、そのような状況は、誰をも幸福にしないだろうと思うのです。
だから、「大変だ」「つらい」と誰かが訴えるのであれば、その人の背景を参酌することなく、そのまま自分に求められている手助けをしたい。
その人が「こうしてほしい」と訴えるのを無視して、「そのような助けはお前に必要ない」とどうして他人が決められるでしょうか。
(その人が口に出して訴えていないことを、どこまでエスパーのように察する必要があるか、ということになると、これまた別の問題になるとは思いますが。)
すっかり更新の間があいてしまいました。とりあえず近況報告を。
受験機関に通学始めました
先月から、弁理士試験のための受験機関に、週2日、通っています。
その間、子供の面倒は夫が見ています。
去年は通信の講座をとっていたのですが、子供の相手をしながらの細切れの時間では集中できず、意志の弱い私では継続不可能と判断(ああ、お金がもったいない)。
夫に相談したところ、必要なら通ったらいいよと言ってくれたので、ありがたく通学の講座をとることにしました。
ゼミ形式とはいえ、授業のクラスに座っているだけでは、もちろんなんにもならないので、予習・復習・自分の演習の時間が必要です。それには、朝の時間をあてています。
もっとも、娘は私がそばにいないと探しに起きてくるので、これもなかなか大変ですが。
しかし、勉強のペースメーカーができたこと、また、何をどう身につけていったらよいかという指針が得られること、なにより、ゼミの間は集中できることで、去年の「まったく勉強が進まない!」という絶望的な不安はなくなりました。
事務所には、子供を育てながら試験に合格した先輩が何名かいらっしゃいますが、皆さんもやはり、通学されていたとのこと。
昔は、泊まり込みの「正月特訓」もあったようで、「正月に家族を捨てて勉強に来ている!」という高揚感でモチベーションを保ったという話も聞きました。
そのくらいの意気込みでがんばりたいです。
仕事
昼間は仕事しているわけですが、ありがたいことにいろいろな仕事を回してもらえるようになって、忙しくも楽しく働いています。
資格がないうちは、対外的に自分の名前を出して仕事をすることはできません。
ものすごく「下積み」感の強い立場ではありますが、マゾっ気のある私にとっては、この「修行するぞ修行するぞ修行するぞ」という境遇もまたよし、であります。
責任をとってくれる人が上にいるうちに、できるだけいろいろな種類の実務に習熟しておきたいと思っています。
家事
料理は好きですが、献立を考えて買い物するための精神力がないので、平日は、ベネッセのレシピつき食材宅配を利用しています。
毎日、その日の分の食材が届けられるので、帰宅後は何も考えずにそれを使ってつくればよく、非常に楽です。
「このレシピはちょっと…」と思うときは、適当にその材料で別のものをつくったりもします。レシピどおりにつくると、味が濃いことがしばしばあるので、そこだけ注意。
また、私にとっては野菜がやや足りないかな、と思うこともあり、週末にできるだけ野菜を使うようにしています。
お手伝いしたいさかりの娘は、キャベツをちぎったり、もやしのひげを取ったり、夫にとっておく分のお皿にラップをかけたり、と、ちょっとした戦力になってくれます(ただし、自分が飽きるまで)。
洗濯は、寝る前に洗濯機に放り込み、朝に洗い上がるように予約して干す、というようにしています。その頃には娘が起きていることが多いので、洗濯かごから衣類を出してもらったり、ここでも手伝って(遊んで)もらいます。
タオル類は、ある程度まとまったら、出勤前に洗濯機に入れて、乾燥までしてしまう、というのがいちばん楽。
今のところいちばん手抜きなのが掃除ですが、たまに母が手伝いに来てくれるのと、掃除好きな夫が週末にちょこまかやってくれるので、私は左うちわです。
Twitter
細切れの時間の息抜きにちょうどよいインターネットサービスが「twitter」です。
同じ興味や問題意識(私の場合は知財、子育て、研究、科学コミュニケーションなど)を共有する人たちと「つぶやき」でつながることができ、最近はよくこっちで遊んでいます。
Twitterのいいところは、基本が「つぶやき」であること。それを読んだ人は反応してもよいし、しなくてもよい。反応をもらっても、反応し返すことが別に義務ではない。その「ゆるさ」が気楽で好きです。
時折、何かおもしろい話題でわーっと盛り上がることもありますが、それはそれで楽しい。
個人プレーが多い仕事をしていて、帰宅後は寝るまで子供と二人、夫と話す内容のほとんどが朝の事務連絡、という毎日を過ごしていると、興味のあることやどうでもいいことを話せるtwitterが、ちょうどよいガス抜きの場になっているように思います。
気の合う人たちとだけつながれるシステムになっているので、不愉快な思いをすることはなく、よけいなエネルギーを使うこともありません。
また、フォローしている人たちすべてのつぶやきを読むこともしていません。たまたまtwitterをのぞいたときに、おもしろいつぶやきがあれば「ほうほう」と反応し、さらに気になったら、その人のつぶやきを少しさかのぼって見る、というくらいの使い方をしています。
それでも、各界で活躍している方々と気軽にやりとりしたり、忙しい子育て世代どうしで励まし合ったり情報交換したり、こんなことが簡単にできるなんてすごい時代になったものだなあ、と改めて思います。
個人的には、誰を指しているのかわからない愚痴を書かない(読んだ人が「自分について言われているのか」と不快になるかもしれないから)ことにしています。
また、私は実名を使っていることもあり、子供についての詳しい具体的な話は、最近は公開アカウントではしないようにしています。
気を遣っているのはそれくらいで、8割方くだらないつぶやき、2割ほどは(もしかしたら)役に立つかもしれないつぶやきをして楽しんでいます。