Category: 知財

弁理士の日

 今日は、「弁理士の日」です。

 というわけで、弁理士を目指すわたしも、このイベントにのっかってみます!


 まだ資格をもっていないので、「わたしはなぜ弁理士になろうとしているのか」についても書いてみたいと思います。

弁理士とは
 弁理士は、「知的財産」を守り、活かすための専門職です。

 たとえば、発明やデザインなど、人が新しく生み出した情報や知識には、財産としての価値があります。
 また、商品やサービスにつけられた名前やマークなどの商標は、その商品やサービスに蓄積した信用をもあらわすものですから、やはり財産としての価値があります。
 そして、人の思想や感情を創作的に表現した著作物もまた、財産としての価値をもちます。
 こういったものが「知的財産」です。

 発明やデザイン、商標などは、それ自体が「財産」であり、いろいろな活用の仕方があります。

 たとえば、発明について考えてみると……

 ノウハウをほかの人に知られないようにしながら、画期的な物を生み出してもよし。
 逆に、誰にでも使えるように、すべてをオープンにして、みんなで協力しながら技術を発展させていってもよし。

 とはいえ、新しい発明は、その技術的情報がオープンにされて積み重なっていくほうが、社会全体の技術の進歩や産業の発展に役立ちます。

 しかし、多大な労力や資金を投入して生み出された発明であっても、その結果を他人がそっくりマネして、はるかに低コスト・低価格で製品を売り出されてしまうと、おおもとの発明の財産的価値がうすまってしまいます。

 そこで、発明についての詳しい技術的情報をオープンにする代わりに、一定の期間だけ、発明された物をつくったり、発明された方法を使用したりするための独占的な権利を与えるという制度がつくられました。それが特許制度です。

 特許権は、ほかの人がその発明を実施することを制限する、非常に強い権利です。
 ですから、どんな発明についても、無条件に特許権が与えられるというわけではありません。
 「この発明について特許権がほしい」と国に意思表示をし、国(特許庁)がその内容について詳しく審査をして、権利を与える価値がある、と判断されたものについてだけ、特許権が与えられます。

 デザインや商標についても、同じように独占的に実施、使用できる権利が与えられます。

 どのような発明・デザイン・商標について、特許権・意匠権・商標権を与えるかについては、法律等で定められています。
 
 したがって、ある発明・デザイン・商標について、どのように活かすかを考え、必要な場合に特許権・意匠権・商標権を取得するためには、法律と発明等の両方についての専門的な知識や経験が必要です。
 ここが、弁理士の出番です。(ほかにもいろいろあります)

わたしはなぜ弁理士になろうとしているのか
 わたしは研究者でした。
 大学・独法で研究をしていたあと、民間企業で研究開発の仕事をしていました。(弁理士には、こういう経歴の人が多いです)
 
 そもそも理学系の出身で基礎研究が好きでしたが、同時に、基礎研究をもっと社会につなげる仕事をしてみたいとも思っていました。

 そんなとき、ある女性弁理士の講演を聞いたのです。
 そこで聞いた弁理士という仕事の内容が、まさに私のやりたいことでした。そして、自分の力でさまざまな可能性をひらいていけるということに、とても強い魅力を感じました。

 そんなこんなで特許事務所の門をたたき、その女性弁理士のもとで特許に関する仕事を始めて、2年半になります。

 毎日の仕事は、はたから見ると、とても地味にみえるかもしれません。
 さまざまな文献(特許文献、論文、技術文献など)を読んだり、それをもとに、さまざまな文書の下書きをしたり、お客さまに出す手紙を下書きしたり。
 読んだり書いたりするのが好きなわたしには、楽しい仕事です。
 
 特許については、発明の内容の公開が前提となるため、発明の内容を詳しく文章で表現した文書(明細書)を書く必要があります。技術をことばで表現するというのは、とてもおもしろい仕事です。
 また、どのような発明を対象として権利付与を請求するか、ということについても考え、文章で表現する必要があります。これは、その発明を産業上どう活かすかということを考えることそのものであり、やはりとてもおもしろいところです。
 そして、日本や外国の特許庁とのやりとりは、法律と技術の両方に目配りしながらのディベートのようなもので、これもまた楽しかったりします。

 もっとも、無資格者は、実際にお客さまの代理をしたり、相談に乗ったりすることはできないため、今のところ、仕事の幅はかなり制限されています。
 いずれは、研究者や経営側の方々と緊密にコミュニケーションしながら、発見を発明にするお手伝いをしたり、幅広い知的財産の活かし方について考えたり発言したりしていけるようになりたいと思っています。

 そのために、とにかく早く弁理士の資格をとりたい!

 ということで、弁理士試験の受験勉強をしています。

 難しい試験なので、気持ちがくじけそうになることもあります。
 しかし、考えてみれば、最低限この試験に合格するだけの力がなくては、他人の権利に関わる仕事などできないのですよね。だから、これも仕事の一環だと思って勉強中です。

 当たり前ですが、法律の理解が進むにつれて、毎日の仕事の理解も進み、その逆もおおいにあります。
 資格をとったあとも、いくらでも学ぶことはあるでしょう。
 それがまた、大きなやりがいであると思っています。

 数年後の弁理士の日に、この記事よりもっといい記事が書けるようになっているといいなあ。

「官僚たちの夏」と高度経済成長期の知財観

 城山三郎原作の小説「官僚たちの夏」がTVドラマ化され、話題を呼んでいます。
 高度経済成長期を支えた通産省官僚たちの物語で、熱い男たちの仕事ぶりが、地上の星のごとく輝いています。
 ちなみに、私の弱点は「何かに熱中している男性」であることを告白しておきます。

 先日放送された第8話は、主人公の一人である風越(佐藤浩市)が特許庁長官に就任するということで、新米特許技術者であり佐藤浩市のファンであるところの私も、わくわくして視聴に臨みました。

 しかし……しかしですよ! なんですかこの特許庁の扱いの低さは。
 要するに、出世コースを外れた風越の引き受け手として「三流官庁」たる特許庁が使われているわけです。

 その後も、飛行機やコンピュータなどの技術開発がめざましく進むシーンは出てくるものの、そういった技術を知財としてどう保護し、生かすか、という話はまったく出てきません。
 自由化で進んだ製品をどんどん輸入しようという趨勢に対抗して、自国の技術力を上げようとしているのが池内首相と風越特許庁長官という設定であれば、なおさら特許庁の出番ではないのか。
 設計の現場に、なぜか風越がいるんですけど、そんなとこで何してるんすか、長官!

 とまあ、知財に関わる人間として、憤懣やるかたないストーリー展開であったものの、これが時代性を反映したものなのか、それともストーリーのせいなのか、そのへんがどうもよくわからない。その旨をtwitterでつぶやいたところ、いろんな方から反応をいただきました。

 また、昨日、職場のランチ時にこの話題を持ち出したところ、けっこう見ていた人が多く、盛り上がりました。
 実際のところ、公務員志望者の間で特許庁が人気になったのはわりと最近の話なんだそうです。知財という言葉が流行りだしたのも最近であることを考えれば、そのへんは肯けます。

 それでは、ほんの少し前まで、官民ともに知財にはまったく無頓着だったのでしょうか?

 高度成長期は、特許出願件数もうなぎのぼりに増えている時代でもあります(昭和47年版科学技術白書[第2部 第3章 2] )。
 また、現行の特許法の基礎となる大々的な法改正が行われたのも、このころ(昭和34年)であり、知的財産保護に関する法的な議論はかなり熱心に行われていました。(「昭和34年法施行・50年」パテント 2009年 Vol. 62 No. 7 (PDFファイル))
 そして、その後の日本の経済の発展に、知財が大きく貢献したことは確かです。

 敗戦からの復興は、技術者たちの血と汗と涙がにじむ努力なしにはありえなかったものです。
 海外の進んだ技術を学び、利用したいという熱意が、自由化への取り組みを後押ししたかもしれません。そして、さらに良い技術、オリジナルな技術を創造しようとする技術者たちの気概と努力が、日本の優れた技術を生み出しました。

 技術などの知的財産を「利用する」ことと「創造する」ことは、経済活動にとってどちらも必要なことでありながら、ときに同じ現場で双方の利害がぶつかり合います。双方のバランスを取るための法的なしくみが、特許制度や著作権制度などの知財保護制度です。
 技術の流入と開発の進展が急速に進んだ高度経済成長期に、知財の「利用」と「創造」のバランスについて、議論がなされなかったはずはありません。

 それはどのようなものだったのか、強く知りたいと思っています。
 なぜなら、その頃の議論の中に、現在の知財保護の問題点を考えることに通じるものがあったように思えてならないからです。

 アメリカの強い支配下にあり、技術力も発展途上にあった高度経済成長当時においても、現在の特許法の基礎となる改正をなしとげた人々がいた、ということがどうしても気になるのです。

 技術の「利用」と「創造」について、昭和34年法改正時当時の結論は、
「物質を特許の対象とすることは見送る」(輸入して利用する)が、
「保護対象を“工業的発明”から“産業上利用することのできる発明”に広げる」「特許権の効力・存続期間の限定」(創造の後押し)
というものだった。
 どのような議論が重ねられてそのような結論に至ったのか。
 その議論の場は、「官僚たちの夏」の舞台とも負けず劣らず、熱いものであったことを期待して、ちょっと調べてみたいと思います。

 ちなみに、知財の活用と保護のあり方は、技術や経済の環境の変化に伴って、ダイナミックに変わりうるものですし、変わるべきものです。
 日本でも、今、2年後の特許法大改正に向けて議論が進んでいるため、特許法の根本から考え直してみるには良い機会だと思っています。

医療関連発明に関する議論

 少し前のことだが、
 手術・投薬方法を特許に 政府検討、法改正の柱に

政府は先端医療の競争力強化に向け、診断や治療などの「手法」も特許として認める方向で検討に入った。


 というニュースが3月17日の日経新聞夕刊に出て、知財関係の人たちが仰天した。
 その後の動きを追っていなかったのだが、今日のニュースでは

 薬の飲み方も特許認定、政府が審査基準を改定へ

政府が6月中旬にまとめる「知的財産推進計画2009」に、薬の服用法を新たに特許として認める方針が盛り込まれることが、わかった。


 ということになっている。
 ……あれれ? 手術法は? 治療法は? 法改正は?

 私の専門分野の実務に関わることなので、非常に気になる。
 この問題を検討している政府の委員会である先端医療特許検討委員会の議事録が公開されているので、議論の推移を順に追ってみたところ、どうやら3月17日のニュースは日経新聞の勇み足だったことがわかった。
 3月17日のニュース直前の会議では、そんな決定はまったくされていないし、ニュース直後の会議では、委員長がニュースを読んでびっくりしたと述べている。

 今回まとめられる提言のポイントは、

・医薬では「用法・用量」も込みで“物の発明”として特許を認める
・最終的な診断を補助するための人体のデータ収集方法の発明も、特許対象として認める
・iPS細胞等、細胞や細胞由来製品の発明について、審査基準を明確化する

 というもののようだ。だから、「薬の飲み方」「服用法」を特許対象にする、というような報道は不正確である。「方法」を特許にはしない。

 この提言をもとに、特許庁の審査基準室が改定案を作成し、パブリックコメントを募集し、それをもとに審査基準が改定される、という流れになるだろう。

 以下に、各会議のまとめ(特に治療法等に関する部分)を。半ば以上、自分のために論点を抽出していますが、興味のある方のご参考になれば。

第一回(平成20年11月25日)

 この会議では、医療分野の特許保護のあり方について一般的な討議が行われている。「人間を手術、治療又は診断する方法」を産業上利用可能な発明として認めるかどうかも、問題としてあげられている。


第二回(平成20年12月22日)

 この会議では、医療の現場で、手術法・治療法も含めた広範な権利保護を望む医師の方々が参考人として呼ばれている。

 再生医療に関わる臨床、基礎研究、医薬の各分野の先生方が、それぞれ非常に重要な指摘をされている(越智光夫広島大学病院病院長、岡野栄之慶應義塾大学医学部教授、岡野光夫東京女子医科大学先端生命医科学研究所所長・教授)。

 ここでは、医療行為に特許を認めることでどのような利点があるか、ということが議論の中心になっている。主張されているインセンティブは、大きく分けて次の2つ:
1.いつも同じように多くの患者を効果的に治すために、医療の分野に工学的技術を導入できるインセンティブ
2.非常に効果的だが、開発が困難で費用のかかる治療法の研究開発に対するインセンティブ

 たとえば岡野光夫教授は、「テクノロジーとセラピーが一体になるような医工連携、これを促進するためにも、正常に投資が行われる社会にしていかなければいけない。そのためには、産業を動かして、医療にテクノロジーが入り込めるよう促進すべきで、特許はその刺激剤のひとつとして有効」と述べている。

 また、岡野栄之教授は、「難病に対する先端医療が一般医療になるためには、産業が必要。その産業に対するインセンティブがないと成り立たない」と述べている。


第三回(平成21年1月26日)

 この会議では、まず、片倉委員(テルモ株式会社)より、「1.医師の医療行為を阻害しない、2.患者に治療の均等な機会を与える、3.企業の既得権を犯さない(間接侵害を排除)」という考え方に基づいた議論が提示されている。片倉委員は、処方に関わる発明(移植のタイミング等)に特許を付与することには産業上のインパクトはあまりないだろうとしている。

 また、渡辺委員(アステラス製薬)は、細胞医薬、臓器医薬と「個の医療」の要素が高まるにつれ、医薬の使い方が重要になってくると指摘。それを実用化するための研究開発のインセンティブとして、特許は重要であると述べている。低分子医薬でも、投与法の工夫で副作用を減らすことができるという事例も紹介されている。

 参考人として招かれている特許庁審査基準室長の田村氏は、「投与方法に特徴のある発明について、現在の医薬用途発明の延長で特許するのは難しい。従来のやり方とは違ったやり方で、医療方法に特徴のある発明も特許してかまわないという示唆がないと、特許庁は動けない」と発言。


第四回(平成21年2月16日)

 この会議では、そろそろ発散しかけている論点が最初に整理されている。つまり、
1.現行の審査基準において「医療方法」とみなされている個別の技術について、「医療方法」ではない方法の発明とみなす
2.「医療方法」に特許保護を認めないという基本的な考え方を変更して、「医療方法」についての特許保護を認める
 のどちらでコンセンサスを得るか、の2つに論点が大きく絞られた。

 次に、石埜弁理士から、本来方法の発明であるものを、物の発明としてクレームすることで、権利が弱くなるといった問題が紹介された。また、清水義憲弁理士からは、用途限定発明で権利を取得することの難しさが訴えられた。

 医療行為に特許を認めることに反対の立場を取る日医総研の澤研究部長は、WMAの医療特許に関する声明を引用して、「患者さんがよくなるということ自体が医師の最大のインセンティブで、産業や経済的なものは余り関係がない。むしろ医師というものは新しい技術をパテントに囲い込むよりも、多くの技術が同僚や部下に普及していくことがうれしい」「同じ医療行為などというものはあり得なくて、だれが行為をするのかということ、だれに対してかということで、再現性のある行為ではない」と指摘され、間接侵害の問題、医療特許が産業にもたらす利点への疑念等を述べられている。

 この会議で、なんとなく医療方法特許いらないんじゃない?的な流れが見えてきた感じ。


第五回(平成21年3月2日)

 この会議では、用法・用量に特徴のある医薬を特許にすることが主な焦点になっている。

 小泉直樹委員(慶應義塾大学大学院法務研究科教授/TMI 総合法律事
務所弁護士)から、医薬の発明は使用法に特徴がある場合であっても物として権利を取るべきであるとの指摘。「医薬品というもの自体が元々用法とか用量とセットで意味を持っているということは、薬事法上明示されている。仮に方法で特許を取ったとしても、使うのは患者さんであり、これは業として実施されていないので、やはり物として取った方がよいだろう」という主張。

 小泉委員はさらに、お医者さまの裁量に影響を与える恐れについては、「例えば、お医者さんが35mgの薬を処方されても、処方するということは患者さんが薬を買えるようになるということだから、物の発明を実施したことにはならない」ため、用法を物として特許しても抵触はしないと指摘。

 本田麻由美委員(読売新聞)からは、同じ医薬で用法・用量の違いで新たに特許が認められると、なかなか薬の価格が下がらずに患者に負担がかかるのではないか、という指摘。(これについては、次の会議で、元の薬の値段は上がらないので問題ない。費用対効果と考えてほしい、とのフォローがあった)

 この会議と次の会議の間で、冒頭のニュースが紹介されたわけだが、ここまで読んだ感想では、ここでは既に一般的な治療法を特許にする話は立ち消えになりかけている印象。


第六回(平成21年4月3日)

 この会議の冒頭で、金澤委員長が「3月17日の朝ですが、某新聞をご覧になってびっくりされた方も多いと思います。私もびっくりいたしましたが、あたかも結論が出たかのようなことを書かれまして大変奇妙な気持ちになりました。」と述べている。ここで、あのニュースは日経新聞の勇み足だったことが明らかに。

 それはそれとして、片倉委員(テルモ株式会社)からは、画像診断を例にとって、診断装置をクレームするとき、構成要件に人体に対する作用を含まないように記述するのが難しいという事例が紹介された。
 また、渡辺委員(アステラス製薬)からは、用法・用量に特徴のある医薬(新用法・用量医薬)に特許を認めることに関する論点が紹介された。

 さらに、林委員(永代総合法律事務所弁護士)より、「人間を手術・治療又は診断する方法」を方法の発明として保護するには、現時点での政策判断を変更する必要があるが、変更するほどの国民のコンセンサスは取れていないようだとの指摘。

 そして、佐藤委員(特許業務法人創成国際特許事務所所長)から、「どこまで産業上利用できる発明として認めるかという点については、裁判所も医療行為の発明も基本的には産業上利用できると解することはできるとしている。ただし、医療行為という特別な保護対象であるがゆえに、十分に配慮した形で保護すべきだと言っている。そういう意味では、こういう医薬の用量・用法の発明を特許対象とするという国民的なコンセンサスがあれば、それは保護対象とされるべきだ」との発言。

 また、機械や器具の使用方法については特許を認める実利はほとんどなく、弊害が大きいというコンセンサスが会議を通じてとれている。
 診断を補助するための人体のデータ収集方法の発明(診断機器等)については、林委員が「医師による医療行為でないことは明らかなので、特許対象の拡大というより、むしろ明確化というか、審査基準の診断方法の解釈として、このようなデータ収集方法は含まれなくて特許対象になるということを審査基準に明記すべきではないか」と指摘。


第七回(平成21年4月24日)

 この会議では、これまでの検討内容を踏まえて、審査基準の改訂を求める提言を盛り込んだ報告書の具体的な内容を詰めている。

 その骨子は
1.再生医療に深く関わる細胞や細胞由来製品等の発明について、審査基準の明確化を求める。
2.新用法・用量医薬に加え、最終的な診断を補助するための人体のデータ収集方法の発明も新たな特許対象とすることを求める。
3.研究者等に対する先端医療特許取得への十分な支援の必要性を訴える。
 というものになっている。

弁理士試験(短答式筆記試験)を受けてきました

 さる5月24日(私の33歳の誕生日)、弁理士試験の短答式筆記試験を受験してきました。
 自己採点の結果、今年の合格は無理っぽいなあ、という感触でした。

 勉強時間がなかなか取れなかったので、ある程度予想はついていたことでしたが、来年の試験までまた1年(順調に進んだとして、資格が取れるまでにあと2年)と思うと、ため息が出ます。
 しかし、ため息ばかりついていてもしかたないので、気を取り直して頑張らなくてはいけません。

 この1年、勉強に集中できなかった理由は、昼間の仕事と帰宅後の育児家事で疲れきってしまい、モチベーションを維持できなかったということにつきます。
 保育園から帰宅後の娘は、ひたすらママ成分を充電したがるし、私も娘成分を充電したいので、娘が起きている間は、当然勉強などできるはずはなく、体力のついた娘がやっと眠ってくれるのは午後11時ごろ。平日の夫の帰宅はほとんど0時過ぎ。夫がいるときでも、寝かしつけは私でないとダメ。私だけ早く布団を抜け出せば、敏感にそれを察した娘も一緒に起きてくる。

 また、ネットに逃げていたなあという反省もあります。思うようにキャリアアップしていけないフラストレーションや、夫との生活時間帯のずれから来る苛立ちを解消したかったことが、その原因だったと思います。
 
 幸い、娘はおむつがとれて以来、精神的にも急に成長して、少しずつものわかりがよくなってきました。
 昼間の運動量が増えたせいか、ここのところ、朝はわりと良く寝るようになったので、家事か勉強のどちらか(または両方)を朝に回すこともできそうです。
 また、たとえば夜10時を回ったら大人の時間であることを娘に伝え、寝室に行かせる(ドアは開けておく)というようなことも検討しようかと思います。

 夫が、土日のどちらか1日なら娘を見ても良い、と言ってくれたので、週末にまとめて時間を取ることもできそうです。

 時間がないないと言っているだけではどうしようもないので、各方面に頭を下げつつ、これからの1年を過ごそうと思います。

全文翻訳は適法か

 先頃、村上春樹氏がイスラエルの文学賞である「エルサレム賞」を受け、その受賞スピーチが注目を集めました。日本の各紙を含めて多くの報道機関が部分的な引用のみにとどまった中、イスラエルのHaaretz紙のみが、氏のスピーチの全文を掲載しました。

 これを受けて、日本のブロガーたちが次々とその全文翻訳を試み、配信し、多くの読者を集めたようです(村上春樹さんの受賞スピーチ、日本のブロガー陣がスピード翻訳 「ハルキ風」も (ITmedia))。一部では、日本の報道機関が全文を配信しなかったことについての批難の声も上がっていました。



 インターネットが普及した今日、このような民間のボランティアによる知の共有に一定の利点があることは否定しません。しかし、あくまで現行の著作権法に照らした場合、このような行為は適法であるといえるのでしょうか?



 現行の著作権法が、現在の著作物の利用実態に即したものであるかについては議論もあるところですが、それは措いて、あくまで今回の事例について、自分の勉強も兼ねて整理してみたいと思います。間違いがあれば、どうぞご指摘ください。

 なお、私はまだ資格をもっていないため、以下の記事は法的アドバイスとして何ら効力をもつものではありません。最終的な判断にあたっては、専門家におたずねください。



事案の整理

 日本人作家の村上春樹氏が、イスラエル国エルサレムにおいて、文学賞の受賞スピーチを英語で行った。そのスピーチの全文を、イスラエル国の新聞Haaretz誌がウェブサイトに掲載し、公開した。その内容をもとに、日本国内において複数の日本人がスピーチ全文を翻訳し、自らのウェブサイトに掲載し、公開した。



そもそも、受賞スピーチ全文の配信は可能か?

 村上春樹氏は日本人なので、その著作物は日本の著作権法および関連する国際条約(ベルヌ条約等)で保護されます。著作物そのものの言語は問いません。



 著作権法第41条(時事の事件の報道のための利用)には、「……著作物は、報道の目的上正当な範囲内において、複製し、及び当該事件の報道に伴って利用することができる」と規定されています。ここで、「報道の目的上正当な範囲内において」という規定ぶりから見て、全文の複製・利用は意図されていないと考えられます。

 したがって、特にスピーチ全文の複製・頒布に関する許諾を村上春樹氏から受けていない限り、日本の報道機関が全文を配信することはできなかったと考えられます。



 外国の報道機関についても、その国が「ベルヌ条約」という著作権に関する国際条約の加盟国であれば、村上春樹氏のスピーチについて同様の保護を与える義務があります。

 イスラエルもベルヌ条約の加盟国ですが、Haaretz誌のみが全文の複製・頒布ができた理由はわかりません。特に許諾を取っていたのかもしれません。



外国の報道機関が公開した受賞スピーチ全文を、許諾なしに翻訳・公開することは適法か?

 基本的に、著作物を翻訳する権利(翻訳権)は著作者(著作権者)がもっています。したがって、その著作物を著作者以外の人がが翻訳するためには、著作者の許諾を得る必要があります。(著作権法第27条等)



 翻訳・翻案等による利用ができる場合は、著作権法に定められています(たとえば著作権法第43条)。

 かいつまんでいうと、私的使用・学校などにおける教育目的の利用・正当な範囲内の引用・時事の事件の報道のための利用(正当な範囲において)・裁判手続等における複製、などです。

 したがって、ブログにおける翻訳の公開についても、特に著作権者(この場合は村上春樹氏)からの許諾を得ていない限りは、全文の翻訳は違法であると判断するのが妥当でしょう。



オバマ氏の大統領就任演説は全文配信され、皆が翻訳した。その事例とどこが違うのか?

 先日、バラック・オバマ氏がアメリカ合衆国大統領に就任したときは、そのみごとなスピーチの全文が各種報道機関から配信され、やはり大勢のブロガーたちによって全文の翻訳が公開されました。

 あのときと今回とでは、何が違うのでしょうか?



 そもそも、アメリカ合衆国の著作権法第105条において、「合衆国政府の著作物は著作権法で保護されない」と規定されています。

 オバマ氏の就任演説(テキスト&ビデオ)は、ホワイトハウスのウェブサイトに収録されていますが、ここのCopyright Noticeにもそのことが明記されています(除外例もある)。ということは、オバマ氏のスピーチも「合衆国政府の著作物」であり、アメリカ合衆国の著作権法の保護の対象ではないと考えていいのかもしれません。



 また、アメリカ合衆国も日本もベルヌ条約の加盟国なので、念のため、ベルヌ条約を見てみます。

 ベルヌ条約第2条の2(Possible Limitation of Protection of Certain Works)では、政治上の演説等をこの条約による保護から除外するかどうかは各国の法律で決定されること、公に実施された講演や演説などは、報道の目的上正当と認められる場合には、報道・放送・有線放送することなどができるが、その条件は各国の法律で決定されることなどが規定されています。



 ここで、日本の著作権法第40条(政治上の演説等の利用)では、公開して行われた政治上の演説等は、同一の著作者のものを編集して利用する場合を除き、いずれの方法によるかを問わず、利用することができるとしています。要は、全文の複製・利用は可能ということです。



 そうすると、オバマ氏の演説の全文を報道したり、それを許諾なしに翻訳したりしても、問題はないようです。



全文引用転載・翻訳には注意したい

 今回の村上春樹氏のケース以外でも、海外のニュース記事やブログ記事などを、気軽に全文引用転載・翻訳して、自分のブログで紹介しているケースをしばしばみかけます。

 そのようなケースがすべて、著作権者の許諾を取って実施されているのかどうか、はなはだ心配ですが、どうなのでしょう。

 著作権者の許諾を取らずに全文の翻訳をしていいのは、その旨がもとのサイトに明示されているか、Creative Commons Public License(クリエイティブ・コモンズ)による複製・頒布の条件が明示されている場合と考えて、注意深く判断する必要があると思います。



《追記》

「引用」の定義から考えて、「全文引用」という表記はおかしいので、「全文“転載”」に修正しました。

また、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに基づいて、私自身の著作物(本ブログ)に関する考え方を、サイドバーに明示しました。

Creative Commons License
この作品は、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています。

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