Category: サイエンス

科学技術関連事業の仕分けについて

 行政刷新会議の事業仕分け作業が進んでいる。
 13日の第3会場で行われた、科学技術関連事業の仕分けの結果については、twitterでも大議論が巻き起こった( #shiwake3 )。

 結果として、対象となった事業すべてについて予算縮減の提言がなされることになったわけだが、これをもって日本の科学が衰退に向かうと嘆くのは早計であると思う。
 
 まず、この評価に拘束力はない。あくまで鳩山政権が今後どう判断するかに任される。
 とはいえ、影響力はかなりあるには違いないが、あくまで既存の一部の事業についての見直しが要求されたにすぎない。
 既存の枠組みがダメなら、新たな枠組みを提示すればよい。未来はそのようにしてつくるものだろう。

 したがって、私たち国民はまず、今後の日本の科学技術の発展に向けて、何が必要なのかを自分の問題として考えるべきだ。そして、わからないことがあれば研究者や行政にたずね、新たな事業が必要であると判断するのならば、それを遠慮なく提言すべきである。
 また、研究者たちも、これでは研究の現場が立ち行かないと考えるのであれば、その旨を具体的に国民に説明し、みずから提言してほしい。

 ひとりの納税者として、また、研究成果を産業に結びつける仕事をしている民間人として、2つの分野の仕分け結果について私が感じたことを述べる。

競争的資金(先端研究)に関して
 財務省や仕分け人からは、
「さまざまな種類の資金が乱立しており、目的や対象が整理されておらず、無駄が生じているのではないか」
「既に実績のある研究者にばかり資金が集まり、若手に資金が回らないという不公平はないのか」
「政策的に進めるべき研究と、研究者の自由な発想に任せる研究を切り分けて、資金の配分と出所を見直すべきではないか」
というような問題提起が主になされ、これら自体は妥当であると思った。
 そして、文科省担当者からの説明は、これらの疑問を覆すようなものではなかった。

 たとえば、仕分け人からの
「単独の資金だけで一つの研究のすべてを賄えないから、あちこちから集めざるを得ないのではないか」
という質問に対し、文科省からの説明は
 「そのようなことはない。その研究にどれくらいの費用が必要かということは研究者が申告し、その妥当性を審査した上で、できるだけ申告された費用の満額に近い形で交付するようにしている」
 との答えであった。それを信じた上で、ひとつの研究に資金が重複している事実があるならば、確かに無駄があるということになってしまう。でなければ、審査の妥当性が低いということになる。

 もっとも、自由に使える研究費が潤沢にあるに越したことはないだろうから、かならずしもすべての無駄が悪いともいえないと私は思う。しかし、実際に研究者間に不公平感があるとすれば、解消されるべきだろう。
 そのあたりは、ぜひ、現場の研究者の方々のご意見をうかがいたいところだ。

 何にせよ、今後、若手の基礎研究者が困窮するということであれば、将来の日本の科学が先細りしてしまうだろうことを、私は恐れる。

 基礎研究がなければ、応用研究も知財ビジネスも生まれようがない。
 また、産業に直結する応用研究でも、普遍性を追求していくほど、基礎研究上の問題意識と区別がつかなくなる。
 だから、基礎と応用の双方に十分な人材がいて互いに交流できることは、どちらの研究を発展させるためにも必要不可欠なことなのだ。

 それだけではない。基礎研究が見せてくれる夢は、すぐれて文化的なものだ。
 私たちの子供が育ち、活躍する未来の社会は、産業が見せる夢と基礎研究が見せる夢の両方が花開く、豊かなものであってほしいと切に願う。

 苦しい経済状況であっても、将来を見据えて、若手の基礎研究者が研究意欲をかきたてられ、それを維持できるような資金の再配分がなされることを望む。

競争的資金(若手研究育成)に関して
 博士号を取得したのち、若手研究者が自立して研究を遂行し、キャリアを築いていくことを支援する事業が仕分け対象となった。

 ざっくりまとめると、査定側・仕分け人側は、
「若手研究支援(若手研究者の育成、研究成果の両方)の成果は上がっているか」
「就職難が喧伝されるポスドク(博士後研究員)について、優秀な研究者のみを厳選して支援するシステムにすべきではないか」
 というような論点を挙げていた。

 裾野を広げなければトップも高くならないと考えるので、若手研究者の支援を全体として縮減することには、私は反対だ。
 
 しかし、今のままのシステムで、果たして若手研究者がキャリアを築いていけるかということについては、いくつか不明な点がある。
 
 ここで対象となっている事業のほとんどは、若手研究者がアカデミックキャリアを築いていくことを目的とした支援事業である。
 気になるのは、現行の事業で支援された研究者が皆、アカデミックの世界でずっと食べていけるようになるのかということ。おそらくそうではないだろう。

 アカデミックポストは限られている。支援される研究者が全員優秀だとしても、全員がいつか独立した研究室をもてるようになるのだろうか。
 おそらくどうしたって、あぶれる人は出てくるだろう。支援を獲得できるくらい優秀な研究者であるのに、だ。
 そういった優秀な研究者のために別のキャリアパスが提示されていない以上、網をかけておいて、ただふるいおとすだけの人材使い捨てシステムと言われてもしかたないのではないか。

 一人前の研究者であれば、自分のキャリアパスは自分で切りひらくべきであるとも思うが、すべてを研究者の自己責任に帰するのも酷であるように思う。研究に向いた人が全員ビジネスに向いているとは思えない。だから、起業せよ、と安易に言うこともできない。
 それならば、民間企業にも就職しやすいうちに、アカデミックキャリアの人材として育成する人数を絞るというのも、あながち不合理とはいえない(どのように選抜するかの基準が非常に難しいだろうとは思う)。

 ただし、これはこの支援事業以外のシステムが、現状と変わりないことを前提としての話である。
 この支援事業で支援する人数を減らさないことが必要なのであれば、ほかのシステムを変える必要があるはずだ。
 それが何なのか、研究の現場にいない私にはわからない。現場の声をうかがいたいと思う。

 ところで、民間企業が博士、とくに卒業後数年経ったポスドクの採用を敬遠することについて、しばしば大学等から非難の声を聞く。
 しかし、アカデミックキャリアをいったん外れた人を、大学等は抵抗なしに研究者として受け入れ、給与を支払い、育成しようとするだろうか? そうでないとすれば、同様の抵抗感が企業にもあると考えればわかりやすいのではないか。

 自分とは違うバックグラウンドの人と仕事を始めるということは、確かに楽ではなく、乗り越えなければならない壁も多い。しかし、うまくいけば実りも多いはずの挑戦だ。
 個人的には、このような壁をさまざまな局面で突き崩す努力をしていくことが、研究者だけでなく、多くの働く人たちのキャリアパスの多様化において望ましいと思っている。

 これとは別に、博士課程までの大学院教育は、自立して考え、研究していくことのできる高度な能力を有した人材の育成が目的であると理解している。このような人材は、産業界においても、大学以外の教育界においても、必要だ。
 したがって、博士課程の学生の生活と研究を補償するための特別研究員制度の縮減とは、大学院教育の目的を見誤った結論であり、これは撤回してもらいたい。

その他雑感
 結論の導き方が乱暴に過ぎる、一部仕分け人の態度に納得がいかない、というような不満点は多々あるが、このような議論がオープンになされたことは、非常に画期的な試みだと思った。
 やり方に工夫の余地はまだまだあると思うが、行政・国民・研究者の間でこういった議論を積み重ねていければ、きっと「他人まかせ」ではない国づくりができるに違いない、と私は希望をもっている。

 一部事業予算の縮減ばかりが先に立ち、科学技術政策の全貌が見えてこない今だからこそ、私たちの声で政権を動かすチャンスであると思う。

《追記》
 以下のサイトで文部科学省がパブリックコメントを募集しています。
 「こういった新しい予算を計上してほしい」「現場にはこういうニーズがある」というようなことを訴えてみることができます。

行政刷新会議事業仕分け対象事業についてご意見をお寄せください


この話題についてのリンク
#shiwake3 wiki
#shiwake3 見てorzとなったみなさんへ – 404 Blog Not Found
科学技術立国と呼ばれた日本の行方 – 大隅典子の仙台通信
科学研究・理科教育に関する事業仕分け作業 – Ogishima Blog
事業仕分けのこと – 有機化学美術館・分館
予算がない時にあきらめられるものとあきらめてはいけないもの – 5号館のつぶやき
緊急メッセージ、未来の科学ために – 科学政策ニュースクリップ

雪の日の花火

その朝は大雪だった。

大学1年生の冬。まだマジメさの残る学生だった私は、1限目の物理化学を受けに登校した。
閉まっている校舎の外で、何人かの学生と待っていると、先生もいらした。

先生は鬼教官(試験の評価が厳しいこと)で有名だったが、ニコリともせずに進められる授業はとても丁寧で、わかりやすいものだった。

校舎はなかなか開かず、みんなで寒さに足踏みしながら待っていると、「すばらしい科学の発見というものはね」と先生が話し出した。

「すばらしい科学の発見というものは、花火みたいなものだと、ぼくは思う。
 その花火を自分の手で打ち上げられれば、これに勝る幸せはないだろう。
 しかし、その花火を上げるための手伝いができるだけでも、やはり幸せだ。
 そしてね。実は、同じ時代にその花火が上がる瞬間を見られること、それを美しいと思えることも、この上ない幸せなんだと思うよ」

それから今に至るまで、堕落したり、また持ちなおしたり、を繰り返している進歩のない私ではあるけれど、この花火への憧れだけはもち続けていたいと思う。

自民・民主マニフェスト比較(子育て・教育・医療・科学政策)

 衆院選を前に、自民・民主両党のマニフェストが発表されたので、興味のあるポイントについて比較してみた感想を書きとめておく。

 実施可能要件(財源)については、今後、専門家のご意見を参考にさせていただくとして、ここではあくまで各党が実現しようとしていることが好ましいかどうかを考えてみた。

 参照した書類は、自由民主党・要約版(PDFファイル)、および民主党Manifesto 2009(PDFファイル)を中心に、それぞれの詳細な政策集(自民党の「政策バンク(PDFファイル)」、民主党の「民主党政策集 INDEX2009」)である。

子育て・教育
<自民党>
 新待機児童ゼロ作戦の推進は応援。放課後児童クラブの量的・質的向上もとてもありがたい。
 低所得者支援策については、ぜひ進めてもらって、「親の因果が子に報い」ないようにしてほしい。

 自民党の政策では、幼児教育費の負担軽減が特色。「3~5歳児に対する幼稚園・保育所等を通じた幼児教育費の負担を段階的に軽減し、3年目から無償化」、というものだ。
 一瞬、0~2歳児を保育所に預けて働く親はどうなるのよ、と思ったけど、よく考えてみると理にかなっている。0~2歳児の公的保育には、とにかくすごくお金がかかる(参考文献:保育コストの現状と規制緩和(PDFファイル);「保育サービス価格に関する研究会」報告書)。0~2歳児を預けて働く親は、すでに多額の援助を受けているからだ。
 「3歳児神話」(子供が3歳になるまでは母親が育てなければよい子に育たないという迷信)の影響を勘ぐることもできるけれど、実際に0~2歳児にかかる手間=人手=人件費を考えれば、いたしかたないのかな、とも思う。

 学校の授業料に関しては、新たな給付型奨学金の創設や、低所得者の授業料無償化を打ち出している。
 しかし、今でもすでに、建前では「低所得者の授業料無償化」のシステムはあることになっているんじゃなかったっけ? ちょっとこのへんがよくわからない。

 女性の再就職支援を打ち出しているが、「就職先が決まらないと子供を預けられない」「預け先が決まらないと就職できない」というパラドックスをどう解消してくれるのか。そこが不安。

<民主党>
 なんといっても目玉は「月額2万6千円の子ども手当」だろう。これに公立高校の授業料無償化と、私立高校の授業料助成がついてくる。

 大学の奨学金を大幅に拡充することも謳っているが、「各論」を見ると、「希望者全員が受けられる奨学金」としか書かれておらず、給付型であることは明記されていない。この点がやや気になる。

 保育所の待機児童解消について、縦割り行政の見直し・子供に関する施策の一本化はいいなと思う。
 また、生活保護の母子加算復活、父子家庭への児童扶養手当の支給等の政策も、好ましい。
 離婚時の養育費支払の履行確保等、母子家庭または父子家庭の子供を応援しようという姿勢が見て取れる。

 「教員の養成課程を6年(修士)とする」、というのが目を引いた。養成と研修をしっかり行うという趣旨のようで好ましく思えるが、現場の先生方のご意見をうかがってみたい。

 よくわからなかったのが、「公立小中学校は保護者、地域住民、学校関係者、教育専門家等が参画する「学校理事会」が運営する」というもの。これでどういういいことがあるのか、今ひとつピンとこない。

<軍配が上がるのは……>
 総じて、これならもうひとりふたり産めるかも、と私が思うのは民主党だ。
 しかし、年金等ほかの政策とのバランスや、実現可能かどうか、そこがどうしても気になる。


医療
<自民党>
 診療報酬のプラス改定により、医師数の増加や地域医療の再生を進めるとのこと。これらと医療費の抑制は両立しないと思うが、まさかこの期に及んで医療費抑制とか言わないだろうな、というのが不安。
 「政策BANK」にある、「これまでにない思い切った補正予算」がどういうことなのか、具体的に知りたい。ちなみに、私自身は負担増となっても支払う覚悟はある。

 救急や産科、外科などリスクの高い分野を初めとして、お医者さまたちが疲弊しきって逃散が起こっているのは周知の事実だし、それに対する不安はとても大きい。これがどう解消されるのかが、いまひとつ見えてこない。

 また、介護施設の拡充と介護報酬のアップも謳われているが、介護報酬のアップが確実な人材確保や処遇改善につながるのか、よくわからない。「政策BANK」に書かれているのは、「介護職員の処遇改善に努める事業主に対して、職員給料一人あたり月平均1.5万円の引き上げに相当する金額を助成」ということである。

<民主党>
 Manifesto「各論」の第21項(10ページ)で詳しく述べられている。
 社会保障費削減方針の撤回は妥当だと思う。
 また、介護報酬の改定によって、介護労働者の賃金を月額4万円上昇させることを明記している。
 障害者福祉制度の抜本的見直し(障害者自立支援法の廃止)や、後期高齢者医療制度の廃止にも触れている。

<軍配が上がるのは……>
 素人目には、民主党の方が「医療崩壊をなんとかしよう」という姿勢が強く打ち出されているように見える。
 
科学
<自民党>
 自民党の科学政策は、経済成長戦略の中に明確に位置づけられている。産業やイノベーションに直接結びつく研究に特化することを打ち出した政策だ。

 その対策として、「世界で活躍する研究者をもっと増やすために、世界トップレベルの研究拠点を約30ヶ所設置や、研究費基金を創設する」とのことだが、詳しい政策BANKを見ても、今までの施策とどう違うのかがわからない。
 これまで与党として政権を担っていた自民党には、日本の科学の現場が青息吐息である現状について、なんらかの反省があるはずだ。「何がよくなるのか」が示されていないので、どうも説得力に欠ける。

 また、息の長い基礎研究の支援策、ポスドク問題、そしてポストポスドク問題として予想される科学分野の人材不足については、まったくビジョンが示されていない。

<民主党>
 民主党の科学政策も、基本的には技術革新の中に位置づけられている。

 「各論」の第45項(12頁)に、特に環境分野において研究開発・実用化を進めることが謳われている。やはり産業利用、イノベーションに直接結びつく研究を支援する姿勢のようだ。

 基礎研究につながるかもしれない具体策としては、「国立大学法人など公的研究開発法人制度の改善、研究者奨励金制度の創設などにより、大学や研究機関の教育力・研究力を世界トップレベルまで引き上げる」が挙げられている。

 政策INDEXを見てみると、「科学技術人材の育成強化」として挙げられているのは、スーパーサイエンスハイスクールやサイエンスキャンプのみ。学生・院生の育成システムやポスドク支援は眼中にないようだ。

 また、同じく政策INDEXの「イノベーションを促す基礎研究成果の実用化環境の整備」の項目を見ると、基礎研究と応用研究がそれぞれどういうものか、そもそもちゃんとわかっているのかな、という不安も生まれる。

<軍配が上がるのは……>
 正直に言って、どちらも似たりよったりで悩ましい。ここでは引き分けとしておく。

 なお、科学政策に関しては、NPOサイコムさん・sivadさんらが公開質問状をまとめ、各党に送ってくださっている。日本の科学政策に関する問題点についてもわかりやすくまとまっているので、ぜひこちらこちらなどをご覧いただきたい。

 誠意と説得力ある回答を出してくれるのはどこの党なのか、非常に楽しみにしている。

———–
《追記》
 今回、非常に魅力的な科学政策を打ち出しているのは共産党である。→こちら
 
《追記2》
 民主党から回答が来たようです。
公開質問状に対する民主党からの回答 – 科学政策ニュースクリップ

《追記3》
 共産党からも回答が来ました。
公開質問状に対する日本共産党の回答 – 科学政策ニュースクリップ

環境活動に使われるEMについて

少し前のニュースですが、「「EMだんご」で阿蘇海浄化  宮津 住民ら1000個投げ入れ:京都新聞」を読んで、大変驚きました。
 
 EMとは、乳酸菌、酵母などの「人間にとって」有用と考えられる微生物を集めたものをいいます。
 
 このEMは、堆肥等に使う人がいるほか、「掃除や洗濯に使うとよい」といった口コミを介して、家庭にも広まっています。米のとぎ汁を用いて自宅で培養し、手渡しで伝えられたりもしているようです。EMの培養液そのものを、霧吹きなどで流しや床に吹きかけると、悪臭がなくなったり、きれいになったりする、ということのようです。

 そのような効果があることが学術的に証明されたという話はまだ聞きませんが、流しや床の掃除、または水の浄化槽など、限られた条件の中であれば、ある程度の効果を示すかもしれません。
 
 しかし、ここしばらく、このEMを河川などの自然環境にそのまま投入して水質の向上をはかる、というような活動が、自治体や学校などの主導で行われるようになりました。最初にご紹介したニュースも、このような活動のひとつのようです。

 このようなEMの使用は、家庭や浄化槽などの限られた条件で使われるのとは、まったく性質が違うため、これまでにも多くの問題提起がなされています(EM菌投入は河川の汚濁源?- kikulog -、「EMは河川の汚染源」- ほたるいかの書きつけ)。

 ここでもう一度、私なりに問題と思われる点をまとめてみたいと思います。
 

汚れた川に、さらに汚濁源を投げ込む?

 河川の汚れの主な原因は、生活排水などに含まれる栄養分をエサにして、きれいな川では数が少なかった微生物が一気に増えることです。
 その有害な(5/19追記:「生態系の多様性を維持するためには有害な」)微生物が、悪臭を放つガスを出したり、水中の酸素を減らしたりして、有害微生物以外の生き物(魚や水草、プランクトンなど)が棲めないような環境をつくります。
 
 したがって、河川に汚染源となるような生活排水等をそのまま流さないことが何より重要です。
 
 汚れた河川にEMを投入する活動では、河川の中でEMが働くことにより、有害な微生物の増殖をおさえ、ヘドロを分解して、水をきれいにしよう、と考えられているようです(東京都千代田区の例その1千代田区の例その2)。
 
 しかし、多量の有機物や窒素源を環境中に導入するということにおいては、生活排水もEMも同じことです。米のとぎ汁によるEMの培養液を使うとしたら、とぎ汁に含まれる余分な栄養分も同時に環境へ投入することになります。
 もし、河川にEMを投入しようと考えるなら、EMが河川の生態系に及ぼす影響を、あらかじめ慎重に検討する必要があるはずです。


EMは「ちょうどよく」増えることができるのか?

 ある微生物が生存し、増えるためには、その微生物に適した環境が必要です。汚れた河川に投入したEMがその環境で生き延び、有害な微生物の増殖をおさえることができるかどうか、また、有害な微生物以上に増えすぎることはないかどうか、まず検討することが必要だと思います。しかし、私の調べた限りでは、環境への投入に先立って、どの程度の事前検討がなされているのか、よくわかりませんでした(事例をご存じの方はご教示ください)。

 もし、汚れた河川中でEMが生き延びることができなければ、河川に投入した大量のEMはそのままゴミになり、窒素などの栄養分として有害な微生物のエサになります。海に流れれば、海を汚すもとにもなります。
 また、もし、河川という環境がEMに非常に適しているならば、今度はEMそのものが増えすぎて、河川を汚す有害な微生物にもなりかねません。

 河川を構成する生物群、栄養状態、温度、日照などの条件は、場所によってそれぞれまったく異なります。
 どんな環境においても、EMなら絶対に増えすぎもせず、死ぬこともない、と確実に予想できるだけの根拠が、私には残念ながら見つけられませんでした。

 冒頭で紹介した事例でも、投入した大量のEMがそのまま川の中で死に、新たな汚濁源にならないという保証は、まったくなさそうに思えます。

 阿蘇海の環境活動は、地域住民の方々や関係団体および行政が連携した「阿蘇海環境づくり協働会議」が主導していらっしゃるようです。
 本会議には京都大学等の学術団体も関わっているようですので、今回のEM投入に関してのご意見を伺いたいところです。
 
 実際に汚れた川や海、湖を目にしておいでの地元の方々は、真摯な思いで環境活動に取り組んでいらっしゃると推察いたします。
 そのような皆さんのおかげで、私たちの生活が成り立っているとも思います。
 だからこそ、特にEM大量投入など環境への負の影響が予想されるものに関しては、正確な知識と情報、検討が必要とされるのだと思います。


EMを環境教育に使うことの問題点

 ところで、EMを用いた環境活動が、子供たちに対する「環境教育」として行われている場合もあるようです。
 しかし、根拠や効果のはっきりしないものをむやみに環境中に投げ込み、それでよしとすることが、はたして教育になり得るのか疑問であると私は思っています。

 自然界の環境は、目に見えないほど小さな微生物から、目に見える大きな生物まで、実にたくさんのいろいろな生き物が、互いに影響し合ってなりたっています。
 たとえば、ある公園の池と別の公園の池でまったく様子が違うことなどは、すぐにでも子供に見せることができます。
 人間が捨てたものによって環境が汚染されているなら、何よりもその汚染源をなくさなければいけないことは、子供でも簡単に理解できるはずです。

 私は、まずそういうことから始めたいと思っているのですが、いかがでしょうか。

補足

 EM研究所によると、愛媛県の上浦町では、平成12年度から13年度にかけて、EMを海に投入してヘドロ減少効果があったとしています。

 しかし、愛媛県の資料(PDFファイル)に示されるように、国内でも下水道普及が遅れている愛媛県では、公共下水道事業が積極的に進められています。
 その普及率の伸びは、平成7年度(27.4%)→平成13年度(36.7%)→平成19年度(44.7%)と著しいものです。
gesuido
(クリックで大きくなります。上記資料より筆者が作成)

 上浦町の下水道普及率は、平成14年度末には80%以上に達しています(資料。PDFファイル)。
 
 こちらの資料(PDFファイル4枚目)には、同じ愛媛県松山市の傍示川流域で、下水道の普及率が上がるにつれ、傍示川の水質が改善したというデータも示されています。
kouka

(クリックで大きくなります。上記資料より転載)

 このように下水道普及による環境への効果が大きいことから、上浦でのヘドロ減少がすべてEMによるものであると結論付けることには、慎重にならざるを得ないと私は考えます。
 また、このときに悪影響がなかったからと言って、安心することもできないと思います。

 EMを上浦の海に投入した影響については、投入した2年間のみの調査結果しか発表されていません。環境問題は、十年、数十年単位で考えていく必要があると思いますが、その後、上浦の海の汚染がどれほど改善されたか(またはされなかったか)は不明です。

 また、この上浦町を初めとする瀬戸内の島嶼部では、肥料による地下水の汚染問題が平成14年に指摘されています(資料(PDFファイル))。その問題への対応策も含めた長期的なデータの蓄積と共有が必要ではないかと思います。

 個人的な考えですが、生活排水や農業廃水、そして島嶼部であれば地下水などを、まず浄化槽等で浄化し(必要ならそこで微生物資材を用い)、きれいにした水をリサイクルするなり、川や海に流すようなシステムの開発が先決であり、微生物そのものを環境中に大量に投入することには、いやがうえにも慎重になるべきだと思います。

今日も鼻がぐしゅぐしゅ。



でも、昨日のチャイナハウスでかなり幸せになった。 植木不等式さん、鈴木クニエさん、Wさん、Sさん、Nさんと、原田三夫の勉強会ついでに、博士号取得見込み祝いをしていただいたのだ。

ほんとうに食べるものすべてがおいしい。もう一度食べたかった酔蟹、よく漬かってまた美味。よほど幸せそうな顔をしていたらしい。黄金色のとろとろのミソに遠慮しいしい箸をのばしていたら、みなさんが「もう殻ごとかかえて食べちゃいなさい」と言ってくださる。遠慮なく、これ以上ないくらい老酒ととけあった極上のカニを独り占め。

金針菜とか葉たまねぎとかうるいとか、よそでは決して食べられないようなお野菜もたらふく。



原田三夫は「子供の科学」をつくった人で、私は寡聞にして知らなかったのだが、パワフルな人だ。いかにも一気呵成に書いた、という感じの文章がおもしろい。

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