今年は太宰生誕100周年。
6月19日の桜桃忌(太宰の誕生日でもあり、また心中の後、その遺体が玉川上水から見つかった日)を記念して、中学三年生の夏に書いた太宰治の論文を再録し、少女の頃の私が愛した太宰に捧げます。
本文はこちら→太宰治論
*なお、先日のブログ記事(要旨のみを再録したもの)を誤って削除してしまいました。コメントくださった方々、大変申し訳ありません。
太宰治論
2009/06/22 | 2 Comments
2009/06/22 | 2 Comments
今年は太宰生誕100周年。
6月19日の桜桃忌(太宰の誕生日でもあり、また心中の後、その遺体が玉川上水から見つかった日)を記念して、中学三年生の夏に書いた太宰治の論文を再録し、少女の頃の私が愛した太宰に捧げます。
本文はこちら→太宰治論
*なお、先日のブログ記事(要旨のみを再録したもの)を誤って削除してしまいました。コメントくださった方々、大変申し訳ありません。
2009/06/22 at 1:34 AM
>かっしさん
コメントごと、前回のエントリを間違って消してしまい、大変申し訳ありません。
おすすめの太宰の作品ですが、新潮文庫に「走れメロス」の表題で入っているものは、太宰のさまざまな魅力を、主に短編で味わうことができてよいかと思います。
また、太宰の前向きな面を見たいときは、同じく新潮文庫から「パンドラの匣」の表題で出ているものがおすすめです。ここに収録されている「正義と微笑」が私は大好きです。
ちくま文庫から全集も出ているので、さらに深みにはまりたい場合は、そちらをぜひどうぞ! ^^
2009/07/26 at 1:07 AM
私は太宰について詳しく研究した事はないのですが、彼の作品は大学一年生くらいの時に代表作といわれるものは大体読んだと思います。一番よく読んだ作品は『晩年』ですね。
破滅的な生き方をする人間のある種の人は、潔癖なくらい厳しい倫理観を持っているものだと思います。社会の中で生き抜く能力に長けた人は、倫理や道徳なんてものを深く考える必要がない。考えなくてもうまくやれるわけです。
世の中って理不尽なものでしょう。ある程度生きていれば、誰しもそういうことを感じるものです。極端ですけど、自動車を例にとって考えてみれば、毎年交通事故で5000人以上の尊い人命が奪われているわけでしょう。にもかかわらず、自動車メーカーの責任って全く問われないわけですよね。おかしいと思いませんか?幹線道路や高速道路以外では30キロ以上スピードが出ないような仕組みにする事は、国と自動車メーカーが協力すればできそうなものだと思うんですよね。他には、アルコールに反応するとエンジンがかからなくなるような仕組みを自動車につけることを義務付けるとか、そういう話ってあってもよさそうなものじゃないですか?そうすれば、交通事故で殺される人の数を、自動車産業あるいは日本経済のために死んで行かなくてはならない人の数を大幅に減らせそうに思うんですよね。
でも、そうはならない。マスコミを新興企業は叩いても、エスタブリッシュな自動車メーカーの不利になるような事はまず言わないわけです。で、毎年、大量の人が見殺しにされているわけでしょう。こういうのって理不尽だし、欺瞞ですよね?
自動車の話は一例ですが、そういう理不尽は世の中、他にもいっぱいあるわけです。でも多くの人間は、なぜか上手くやり過ごせるわけです。おかしいなと思っていても、別にたいして気にならないわけです。ま、適度に鈍感にできているんでしょうね。
でもそういうことに非常に不器用な人間っていると思いますし、近年、増えてきていると思うんですよね。理不尽や欺瞞に対して潔癖でありすぎるために人間不信になる。自分に対しても完璧を求めすぎるために自己嫌悪に陥る。欺瞞に対する嗅覚が良すぎるがために、全てが汚く見えてしまう。そして、世の中をそういう視点で捉える自分自身も汚く見えてしまう。だから、美しい生き方を希求するのだけど、でもすぐ嘘が見えてしまう。
その結果、どんどん「世界」からリアリティが失われ、生きる力も弱くなっていく。太宰はそういう人だったのだと思いますね。