全文翻訳は適法か
先頃、村上春樹氏がイスラエルの文学賞である「エルサレム賞」を受け、その受賞スピーチが注目を集めました。日本の各紙を含めて多くの報道機関が部分的な引用のみにとどまった中、イスラエルのHaaretz紙のみが、氏のスピーチの全文を掲載しました。
これを受けて、日本のブロガーたちが次々とその全文翻訳を試み、配信し、多くの読者を集めたようです(村上春樹さんの受賞スピーチ、日本のブロガー陣がスピード翻訳 「ハルキ風」も (ITmedia))。一部では、日本の報道機関が全文を配信しなかったことについての批難の声も上がっていました。
インターネットが普及した今日、このような民間のボランティアによる知の共有に一定の利点があることは否定しません。しかし、あくまで現行の著作権法に照らした場合、このような行為は適法であるといえるのでしょうか?
現行の著作権法が、現在の著作物の利用実態に即したものであるかについては議論もあるところですが、それは措いて、あくまで今回の事例について、自分の勉強も兼ねて整理してみたいと思います。間違いがあれば、どうぞご指摘ください。
なお、私はまだ資格をもっていないため、以下の記事は法的アドバイスとして何ら効力をもつものではありません。最終的な判断にあたっては、専門家におたずねください。
事案の整理
日本人作家の村上春樹氏が、イスラエル国エルサレムにおいて、文学賞の受賞スピーチを英語で行った。そのスピーチの全文を、イスラエル国の新聞Haaretz誌がウェブサイトに掲載し、公開した。その内容をもとに、日本国内において複数の日本人がスピーチ全文を翻訳し、自らのウェブサイトに掲載し、公開した。
そもそも、受賞スピーチ全文の配信は可能か?
村上春樹氏は日本人なので、その著作物は日本の著作権法および関連する国際条約(ベルヌ条約等)で保護されます。著作物そのものの言語は問いません。
著作権法第41条(時事の事件の報道のための利用)には、「……著作物は、報道の目的上正当な範囲内において、複製し、及び当該事件の報道に伴って利用することができる」と規定されています。ここで、「報道の目的上正当な範囲内において」という規定ぶりから見て、全文の複製・利用は意図されていないと考えられます。
したがって、特にスピーチ全文の複製・頒布に関する許諾を村上春樹氏から受けていない限り、日本の報道機関が全文を配信することはできなかったと考えられます。
外国の報道機関についても、その国が「ベルヌ条約」という著作権に関する国際条約の加盟国であれば、村上春樹氏のスピーチについて同様の保護を与える義務があります。
イスラエルもベルヌ条約の加盟国ですが、Haaretz誌のみが全文の複製・頒布ができた理由はわかりません。特に許諾を取っていたのかもしれません。
外国の報道機関が公開した受賞スピーチ全文を、許諾なしに翻訳・公開することは適法か?
基本的に、著作物を翻訳する権利(翻訳権)は著作者(著作権者)がもっています。したがって、その著作物を著作者以外の人がが翻訳するためには、著作者の許諾を得る必要があります。(著作権法第27条等)
翻訳・翻案等による利用ができる場合は、著作権法に定められています(たとえば著作権法第43条)。
かいつまんでいうと、私的使用・学校などにおける教育目的の利用・正当な範囲内の引用・時事の事件の報道のための利用(正当な範囲において)・裁判手続等における複製、などです。
したがって、ブログにおける翻訳の公開についても、特に著作権者(この場合は村上春樹氏)からの許諾を得ていない限りは、全文の翻訳は違法であると判断するのが妥当でしょう。
オバマ氏の大統領就任演説は全文配信され、皆が翻訳した。その事例とどこが違うのか?
先日、バラック・オバマ氏がアメリカ合衆国大統領に就任したときは、そのみごとなスピーチの全文が各種報道機関から配信され、やはり大勢のブロガーたちによって全文の翻訳が公開されました。
あのときと今回とでは、何が違うのでしょうか?
そもそも、アメリカ合衆国の著作権法第105条において、「合衆国政府の著作物は著作権法で保護されない」と規定されています。
オバマ氏の就任演説(テキスト&ビデオ)は、ホワイトハウスのウェブサイトに収録されていますが、ここのCopyright Noticeにもそのことが明記されています(除外例もある)。ということは、オバマ氏のスピーチも「合衆国政府の著作物」であり、アメリカ合衆国の著作権法の保護の対象ではないと考えていいのかもしれません。
また、アメリカ合衆国も日本もベルヌ条約の加盟国なので、念のため、ベルヌ条約を見てみます。
ベルヌ条約第2条の2(Possible Limitation of Protection of Certain Works)では、政治上の演説等をこの条約による保護から除外するかどうかは各国の法律で決定されること、公に実施された講演や演説などは、報道の目的上正当と認められる場合には、報道・放送・有線放送することなどができるが、その条件は各国の法律で決定されることなどが規定されています。
ここで、日本の著作権法第40条(政治上の演説等の利用)では、公開して行われた政治上の演説等は、同一の著作者のものを編集して利用する場合を除き、いずれの方法によるかを問わず、利用することができるとしています。要は、全文の複製・利用は可能ということです。
そうすると、オバマ氏の演説の全文を報道したり、それを許諾なしに翻訳したりしても、問題はないようです。
全文引用転載・翻訳には注意したい
今回の村上春樹氏のケース以外でも、海外のニュース記事やブログ記事などを、気軽に全文引用転載・翻訳して、自分のブログで紹介しているケースをしばしばみかけます。
そのようなケースがすべて、著作権者の許諾を取って実施されているのかどうか、はなはだ心配ですが、どうなのでしょう。
著作権者の許諾を取らずに全文の翻訳をしていいのは、その旨がもとのサイトに明示されているか、Creative Commons Public License(クリエイティブ・コモンズ)による複製・頒布の条件が明示されている場合と考えて、注意深く判断する必要があると思います。
《追記》
「引用」の定義から考えて、「全文引用」という表記はおかしいので、「全文“転載”」に修正しました。
また、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスに基づいて、私自身の著作物(本ブログ)に関する考え方を、サイドバーに明示しました。

村上春樹さんの主張が正しく伝わっているかどうかも重要な要素です。「良いことをいっているからみんなに伝えたい」というのは当然の感情ですが、やはり言語が違うとニュアンスも違ってきますし、翻訳者の意志が反映されかねません。つまり、意識的かどうかは別にして、この問題は村上春樹さんの主張が捻じ曲がる可能性を含んでいると思います。
だからこそブロガーは著作権を意識すべきだと思います。
1970.01.1 9:00 AM にphi
(私も資格を持っていないものではありますが)
村上春樹氏の受賞スピーチ自体が著作権法40条にいう「政治上の演説」に当たる可能性があるのではないでしょうか。(「政治上」というのが選挙の当落に関わるものに限定されて解釈されるものなら別ですが)
また、「政治上の演説」ではないにしても「地方公共団体(エルサレム市)」の機関において行われた「公開の演説」であるかもしれません。(40条2項、43条2号)すると、41条よりも制限が緩くなって、グレーが薄くなります。
2009.02.20 5:18 PM にkyousum
著作権法コンメンタール第2巻333ページ(2009)によると、
この規定を政治に関するものすべてに適用されると広く認めることはできないが、逆に、規定の文言上、明治に主観的な要素は規定されていないことから、直接目的や意図まで求めることはできなかろう。ただ、(中略)客観的に政治に影響を求める目的や意図が見て取れるものでなければならない。(文:花村征志先生)
としています。政治上の演説は自由利用が認められ、公に伝達されることが認められなければならないからです。
あと、40条2項は、制限がゆるいのではなく、きついのです。
1項は「自由利用」ですが、2項は方法に制限がついています。
2009.02.20 6:49 PM にBigHopeClasic
全文公開が合法違法は個別案件毎に色々あると思いますが。
これって、そもそも、著作権利者が訴えを起こしたとか、そういう事実に基づく物ですか?
もし、そうでないとすると。
著作権には黙認する自由=公には認めないが、訴えも起こさない。というグレー運用がありますので。
本人が告訴する意志がない、もしくは、黙認したいと思っているのに、第3者が合法違法議論をすると、本人が正式に告訴しなくてはいけなくなるとか、面倒が増えてしまうのではないでしょうか?
スピーチの場合、扱いが難しく、事を大事にして、訴えるんですか?訴えないんですか?という所にまで話しが及んでしまうと・・・訴える気がなくても、訴えざるを得ない状況に追い込まれる可能性があります。それはそれで、問題なんじゃないかと。
2009.02.20 10:11 PM にkokorohamoe
政治上の演説に関しては、ネット上で見られる文書としては下記が詳しいかと思いました
http://civilpro.law.kansai-u.ac.jp/kurita/copyright/commentary/Act40.html
2009.02.20 11:59 PM にbn2islander
私も、
著作権法に照らした場合に違法だとは思うんだけど、
そのようなことを気にしてしまう時点で、
「システムに絡め取られている」ような気もする。
2009.02.21 1:29 AM に774
非常に基本的なことなのですが、分からないので教えてください。
村上氏がイスラエルで行った演説について
一体どこの著作権法が適用されるべきのでしょうか。
日本人なので日本の著作権法が適用されるという単純なものなのでしょうか?
2009.02.21 3:24 PM にn
村上春樹氏の発言を著作権法に絡めて論じるなら、まずは彼のスピーチが同法2条1項1号に言う「著作物」にあたるか否かをはっきりさせる必要があると思うんですが、どうでしょうか?
果たして、「著作物」の判断基準は何でしょう?「創作的に」とはより具体的にはどのような状態を指すのでしょうか?
2009.02.21 10:12 PM にななしん
pollyannaさん、
この場を借りてブックマークの100字コメントで書いたことを詳しく説明させてください。
nさんのコメントとも関係するのですが、属地主義により日本でブロガーが翻訳文を掲載することには日本の著作権法が適用され、イスラエルでHaaretz紙が掲載することにはイスラエルの著作権法が適用されます。(それぞれの国に設置されたウェブサーバーに翻訳文や原文が格納されている場合についての話です。)
pollyannaさんが「外国の報道機関についても、その国が「ベルヌ条約」という著作権に関する国際条約の加盟国であれば、村上春樹氏のスピーチについて同様の保護を与える義務があります。」と述べられたうちの、「同様の保護」について、私は疑義を生じました。日本と同様の内容の保護というように読めるのですが、そう読んだ場合には、ベルヌ条約の規定に照らして違うと思ったからです。
イスラエルはベルヌ条約の加盟国ですから、ベルヌ条約第5条の内国民待遇の義務を負います。内国民待遇とは、イスラエルにおいては、在外者(村上春樹氏)が、イスラエルの著作権法で内国民(イスラエル人)に与えられるのと同じ著作権が与えられるということを意味します。つまり外国人を、自国民とは差別して著作権の享有に関し不利な取り扱いをするのを禁止することがベルヌ条約の内国民待遇の規定の内容です。しかし、この規定は、本国(日本)における著作者の保護と同一内容の保護を同盟国(イスラエル)に義務付けるものではありません。
それで、村上春樹氏の講演の全文を、著作権者の許諾なくHaaretz紙が掲載することができるか否かは、イスラエルの著作権法の規定次第ということになるでしょう。
2009.02.23 11:50 PM にshiranui