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Ring-Bong「逢坂~めぐりのめあて~」@下北沢シアター711

文学座の山谷典子が主催する演劇ユニット・Ring-Bongの第7回講演「逢坂~めぐりのめあて~」を観てきました。
山谷は中学以来の友人なので、敬称略で失敬。

同じ坂を登って学校へ向かっていた一人の少女と二人の少年(安田素子(山谷典子)、柴崎敏之(亀田佳明)、藤本滋(長谷川敦央))が、戦争を機にいつしか互いの行く道を違え、戦後、思いもかけない形でその道がふたたび交わる。
交わった道のひとつは途切れ、ほかの道はまた未来に向けて延びながら、新しい別の道とつながっていく。
その様子を、切なさと、ユーモアと、そして希望をこめて描いています。

時代の力の象徴として、正力松太郎をモデルにした「巨怪」松田正太郎(坂口芳貞)という人物を据えたことで、物語に凄みが与えられ、太い芯が一本通っています。
その松田の別宅で働く女中・新木夕子(もたい陽子)は、旧華族で、ともすれば暗い影を背負わされそうでありながらも、強く華やかに生き抜く美しい姿を見せます。
素子の姪・安田奈津子(大井川皐月)の屈託のない明るさが物語に軽やかな風を吹き込み、そして、この物語のすべてを見届ける素子の兄・安田修(辻輝猛)の厳しくも暖かいまなざしが観る者の心にしっかりと寄り添ってくれます。
これ以上ないほどに暖かく爽快なラストシーンには、笑い涙が止まりませんでした(加藤祐未さん超絶かわいかったです)。

時代に翻弄される、とはよく聞く表現ですが、翻弄される人になんの意思もなければ喜劇も悲劇も生まれません。
何を善いと思うのか、何を大切にするのか、そのためにどのような行動をとることを選ぶのか。
そういった人の意思こそがドラマを生み、またその意思の普遍性こそが、別の時代を生きる私たちの胸をうつのでしょう。

「君の坂を登った先には、いったい何があるんだい」
安田修が柴崎に投げかけた言葉は、私の心のミットにもまっすぐ飛び込んできました。

俳優として、そして劇作家として、さらに成長を続ける山谷典子の作品を、これからもとても楽しみにしています。

公演は2月12日(日)までで、チケットは既に売り止めになってしまったようですが、こちらで当日券情報がチェックできるようです。

「幕末グルメ ブシメシ!」と酒井伴四郎

BSプレミアムでやっているドラマ「幕末グルメ ブシメシ!」を、子供と一緒に楽しみに見ています。
www.nhk.or.jp

参勤交代で単身、江戸にやってきた若き下級武士・酒田伴四郎と、彼を取り巻く人たちが繰り広げるてんやわんやの人情グルメドラマです。

原作は土山しげるさんの漫画「勤番グルメ ブシメシ!」となっていますが、ドラマオリジナルの設定も多く、原作のファンでもまた違った楽しみ方ができると思います。

勤番グルメ ブシメシ!

勤番グルメ ブシメシ!

キャストがまたすごい。

妻と娘が大好き、泣き虫で大食い、慣れない包丁を握って料理に腕を振るう伴四郎役に、瀬戸康史さん。
暴れん坊将軍よろしく、中間姿に身をやつして江戸の町をぶらぶら歩き回る、どうにもつかみどころのない殿様・松平茂照(十四代将軍・徳川家茂がモデル)役に、草刈正雄さん。
ずる賢いけど憎めない、伴四郎の叔父の宇治井平三役に、平田満さん。
ほかに、田中圭さん、徳井優さん、そしてなんと吉田沙保里さん等々、この役にはこの方しかないだろうという豪華キャストが揃っています。

そして、語りは声優の櫻井孝宏さんが担当。
七色の声を使い分けて、噂話に興じる江戸の町の人たちを演じているシーンが聞きどころです。

ちなみにこのドラマは、「外伝」として短編動画もいくつか制作されていて、ウェブ上でも公開されています。
ブシメシ動画あれこれ | 幕末グルメ ブシメシ!
この「外伝」の第一作は、ドラマの登場人物とスタッフたちによるマネキンチャレンジなのですが、ここでそれぞれの人物に櫻井さんが声をあてているのが、櫻井さんファンの私にはたまらない幸せ動画でした。

これまでドラマに出てきた幕末グルメは、そば、軍鶏鍋、茶粥、筍飯の蛤汁かけ、焼き鳥(?)、こんにゃく田楽、鶏唐揚げのカピタン漬け(南蛮漬け?)とどれもこれもおいしそうでした。
グレーテルのかまど」ではみごとなパティシエぶりを披露している瀬戸康史さん。このドラマの最初の方では、危なっかしい包丁さばきをリアルに演じていて、それがまたチャーミングでよかったです。

伴四郎はこれからどんな料理を作ってくれるのか。
無事に江戸勤番を終えて、愛する妻と娘のもとに戻れるのか。
そして、殿様の運命やいかに。

今後のお話も楽しみです。

さて実は、漫画「勤番グルメ ブシメシ!」にはさらに原作者がいて、それが酒井伴四郎。
紀州和歌山藩の下級武士で、江戸の暮らしを詳細に記録した「酒井伴四郎日記」を書いた人物です。

「酒井伴四郎日記」については、青木直巳さんの著書「幕末単身赴任 下級武士の食日記」で詳しく紹介されています。

幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版 (ちくま文庫)

幕末単身赴任 下級武士の食日記 増補版 (ちくま文庫)

幕末の江戸の食生活のみならず、下級武士たちの飾らない日常生活をうかがうことができて、とてもおもしろい本です。

この本によれば、酒井伴四郎はきわめてのんびりと働きつつ(たとえばある年の6月は6日しか働かず、7月の勤務日はゼロ、8月は13日間働いていますが、勤務時間は午前8時から正午ごろまで、といった具合)、観光や食べ歩き、自炊、宅飲みに興じていて、なんともうらやましい生活ぶり。

故郷においてきた娘を思って涙したりもする一方で、同居している青年武士が飯炊きに失敗したことや、いただきものの魚をわけてもらえなかったことを「甚だもっていかがなること」(!)などとグチグチ書き留めたりもしていて、ちっとも偉ぶる様子がありません。まるで落語に出てくる人物のようです。

こうして酒井伴四郎は江戸に集まった多種多様な食材や料理の文化を満喫していたようですが、ちらほら散見される病気の記述からは、やはり衛生状態はそれほどよくなかったのであろうことがうかがわれます。
叔父さんは痢病で下血に、酒井伴四郎は「筋玉の痛」(しかもかなりの激痛だった様子)に苦しんだりしているほか、食あたりもしばしば、そして皆よく風邪を引いています。
そういう様子を見ると、江戸時代はいいなあと手放しにうらやましがることはできないのですが、少しだけタイムトラベルできるのであれば、酒井伴四郎たちと江戸の町を食べ歩いてみたいと思います。

差別や偏見そのものについての議論と、差別や偏見とつきあいながら実務上の合意を形成するための議論とを、同時に進めるのはむずかしい

長いタイトルで結論を書いてしまいました。
千葉市が男性保育士活躍推進プランを策定したことに関する熊谷千葉市長のツイートに端を発した議論を見ていて考えたことです。

男性保育士の女児担当外しは性差別? 熊谷俊人・千葉市長の発言で議論
「男性保育士に女児を着替えさせるな」要求は正当? 熊谷・千葉市長、性差別は許されないと喝破 - エキサイトニュース(1/2)
【議論再追加】熊谷千葉市長の男性保育士に関する議論。保護者の男性保育士を自分の娘に担当させるなと言う要求は正当なのか? - Togetterまとめ


私は、千葉市が打ち出した男性保育士活躍推進プランには賛成です。

子供たちにはできるだけ多様性に富んだ人たちの中で育ってほしい*1と思うし、また、保育士という職業に就きたいと願う人たちの前に性別の壁が立ちふさがることのないようにと願うからです*2

ところが、残念ながら、今回の議論では、主に子供に対する性虐待への懸念から男性保育士の職務を制限してほしいと主張する人たちと、そのような差別的な取り扱いは不当だと主張する人たちとの間で激しい対立が起こり、一致点が見つかる気配がありません。
これは、熊谷千葉市長(以下、単に「市長」と書きます)の一連の発言が、「社会として男性保育士への理解が進む状況をつくりたい」というご自身の意図を十分に反映したものではなかったことも一因ではないかと私は考えています。

市長のツイートには、
「女児の保護者の『うちの子を着替えさせないで』要望が通ってきた」
「女性なら社会問題になる事案」
「女性の場合と異なる基準になっていることをご本人も気づかない状況」
「男性保育士が女児を世話することに嫌悪感を感じ、区別を求める多くが女性という点が面白い」
「女性側に男性の不利益に関してまだ意識が十分でない」
のように、男性保育士に不信感を抱く女性の意識や偏見を正そうとするものが多く見受けられます。

もちろん、市長の主張におかしいところはありません。
「男性は性犯罪を起こしやすいから女児を世話させるべきではない」といった主張は極めて差別的です。仮に男性の方が性犯罪を起こしやすいという統計があったとしても、そのような統計は差別を正当化する根拠とはなりえません。
女性に対する不利な取り扱いはしばしば話題に上りますが、男性が男性であるがゆえに受ける不利益についてはまだまだ注目されづらいのが現状です。
この理不尽な現状に対して、常日頃、市長が憤りやいらだちといった強い思いを感じていたとしても何ら不思議はないですし、市長にはその思いを表明する権利があります。

しかし、「社会として男性保育士への理解が進む状況をつくりたい」という意図を伝えようとする場合、まだ理解に至っていない相手の意識や偏見を正面から(もっといえば頭ごなしに)正そうとするのは、果たして得策でしょうか。
特に、今回の議論で市長が理解を求める相手は、幼児である子供の心と体の安全を何より大切に思い、心配する親たちです。
腕の中の子供を心配して不安を膨らませている立場の親たちに、まず自分の偏見を自覚するところから始めるよう要求するのは、かなり無理があると思うのです。

市長は「男性保育士が少なく、家庭においても男性の育児への関与がまだまだ少ない現状においては、『男性保育士が娘の着替えや排泄に関わって欲しくない』と思うこと自体は否定されるものではありません」ともおっしゃっています(熊谷 俊人 - 「男性保育士が娘の着替えや排泄をして欲しくない」という意見の背景についてまとめると以下の通りでしょうか... | Facebook)。
しかし、それだけでは、「不安な思いは否定されずにずっと持っていてかまわないが、その思いは自らの偏見や無理解に基づくものであることを理解せよ」というメッセージを相手に突きつけるだけです。
このように突きつけられた相手が、考えや対話を進めるための具体的な糸口を見つけるのは困難なのではないでしょうか。

私は、市長の「社会が考慮するに足る理由無しに性による区別をすることは差別です。女性活躍を進める中だからこそ、真剣に日本社会が議論し、乗り越えるべき課題です」という主張に諸手を挙げて同意します。
ですが、その課題の解決(市民、国民の意識改革がゴールでしょう)のためのやや抽象的な議論と、今、保育の現場に男性保育士を増やすという発表によって生まれた(一部の)親たちの不安やとまどいをどう払拭するかという具体的な議論とを、同時に進めるのはとても難しいことなのではないかと思うのです。
今回の炎上と発散は、これらの議論がごちゃまぜに進んで収拾がつかなくなったから起こったように思います。

「社会として男性保育士への理解が進む状況をつくりたい」という目的のためには、まずは、たとえば、女性保育士・男性保育士を問わず、常に複数の保育士が協同して保育にあたることができる環境が整備されていることや、子供の虐待を引き起こすような要因が十分に排除されていることなどについて、具体的な説明を積み上げていくことが有効なのではないかと思います。
親たちの不安に対して「このような対策を取っている」と答えることができれば、親たちも自分たちの不安が根拠のないものだったと気づく機会が得やすくなるのではないかと思います*3

そういった取り組みや議論を進めつつ、それとは切り分けたところで、これまで見過ごされがちだった男性への差別や、真の男女共同参画のあり方についても、抽象度を上げた議論、または、よりさまざまな事例にわたる議論を進めていくのがいいように思います。

これはもちろん、個々人が差別的な取り扱いに対して抱く憤りや悲しみといった感情を、いつ、どこで、どう表明するかということとはまったく別の話です。

*1:個々の子供の特性が許容できる限りにおいてです。すべての子供にとって多様性に富んだ人間関係がベストだとは限らないでしょうが、今回その話はしません。

*2:男性保育士が増えれば力仕事を任せられるという点を利点に挙げる人も散見されましたが、男性保育士には力仕事と期待するのは性差別でしょう。力仕事が苦手な男性保育士さんが保育の現場にいるのもまたよいことだと思います。

*3:それでも「頭では理解できてもどうしてもイヤ」という人がいなくなることはないでしょうが、頭ごなしに偏見を正そうというところから進めるよりは、理解を得られる相手は増えるのではないかと思います。少なくとも、外部からの行政に対する理解は得られやすくなるはずです。

お天気雪とシュウマイ

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日曜日の昼ごろ、習い事帰りの子供と散歩していたら、細かい白いものがはらはらと降ってきました。

 

「灰?」

「どこかで何か燃やしてる?」

 

見上げると、よく晴れた空から、白いものが次々と降ってきます。

コートの袖についたものを指でつまむと、すっと溶けました。

 

「雪だ!」

「こんな晴れてるのにね。あの薄い雲が雪雲なのかな」

 

この日は全国的に強い寒気に覆われていて、大雪となったところも多かったようでした。

気象衛星からの映像を見ると、日本海側から雪雲が伸びているのがわかります。

www.tenki.jp

この雪雲の裾が、ちょうど私たちの頭の上にかかっていたのかもしれません。

 

出かける前に見ていたテレビで、シュウマイ弁当のコマーシャルをやっていました。

さらにその前に「甘々と稲妻」という漫画のシュウマイ回を読んでいた子供は、そのコマーシャルにとどめを刺されて、口とおなかの中が、どうしてもシュウマイを食べたいモードになってしまったようです。

 

材料を買って帰って、作りも作ったり、なんと60個ものシュウマイができました。

さすがに食べきれないだろうと思ったのですが、しっかり家族全員のおなかにおさまりましたとさ。

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「甘々と稲妻」は、妻をなくして子育てに奮闘する高校教師・犬塚先生とその娘・つむぎちゃん、そしてひょんなことから二人と一緒にごはんを作っては食べることになる女子高生・小鳥ちゃんが織りなす日常の物語。

 

最新刊では、つむぎちゃんがついに小学生になり、リアルな小学生生活が描かれています。そしてあいかわらず、どのごはんもおいしそう。

 

少し前にはアニメ化もされていましたが、終わってしまって淋しいです。

第二シーズンもやってほしいなあ。

 

 

甘々と稲妻(1) (アフタヌーンコミックス)

甘々と稲妻(1) (アフタヌーンコミックス)

 

 

 

「ミニ腸」と「ら抜き」

ES細胞から「ミニ腸」

www.ncchd.go.jp
JCI Insight - A xenogeneic-free system generating functional human gut organoids from pluripotent stem cells

生体の腸のように蠕動運動をして、しかも吸収能や分泌能ももつ小さな腸を、ヒトのES細胞やiPS細胞を用いて試験管内で形成することに成功したというニュースです。
朝のテレビで見てびっくりしました。

培養皿に微細加工を施して細胞の自己集合と自己組織化を促したという点、
そして、異種成分(今回の場合だとヒト以外の動物由来成分)をまったく含まない培養環境(ゼノフリー)を用いたという点、
あたりがミソのようですね(ほかにもあるのかも)。

腸疾患のメカニズムについての研究や、治療薬の開発のための研究への応用が期待できます。楽しみです。

論文には、この方法で作ったミニ腸の成熟度合いを確かめるために、ヌードマウスへの移植を試みて成功したことについても簡単に触れてありました。すごいなと思ったのですが、プレスリリースでは、移植治療による臨床応用がすぐにでもできるというような煽り方は一切しておらず、とても誠実な伝え方をしていて素敵だなと思いました。

朝のテレビニュースを一緒に見ていた子供(小4)の感想「うまくいったら、試験管の中でちっちゃいうんこがコロコロできるようになんのかな」

うん。それはちょっと見てみたいね。

「ら抜き」言葉、多数派に

論点 「ら抜き」言葉、多数派に -毎日新聞-

国語学者の金田一秀穂さん、そして劇作家永井愛さんへのインタビュー記事です。

金田一先生は「そもそも『正しい日本語』など存在しない」というお立場で、「いちいち間違いの揚げ足取りをするのはいかがなものかと思う」と苦言を呈しています。
これは、twitterなどでも積極的に発言されている日本語学者の飯間浩明先生も同様のお立場だったかと思います。
上一段活用の動詞の可能形から「ら」が抜け落ちるのが、今よく話題になる「ら抜き」言葉ですが、実は五段活用の動詞にも、かつて(江戸時代頃)「ら抜き」と同様の活用変化があったというご指摘がおもしろかったです。

永井さんは、「ら抜き」以上に過剰敬語の反乱が気になるとのこと。ら抜きは率直な言葉だとも言えるが、過剰敬語はこれとは逆な「欺瞞の言葉」に思えてならないと指摘しています。

お二方とも、言葉そのものより、言葉の本意や言葉が表す精神を大切にしたいというご意見でした。

私はわりと言葉に興味がある方だと自負してはいましたが、自分にとってなじみのない言葉づかいにあまり寛容でないところがあるなと常々反省していたところでした。

私が他人の言葉づかいに不寛容だったのは、私に言葉の知識があるからというわけでは決してなく、ただ「自分とは異なるなにか」に対する感覚的な嫌悪感だったのかもしれず、その嫌悪感を正当化するために、生半可な知識を利用していたのかもしれません。

土井善晴「一汁一菜でよいという提案」

NHKきょうの料理などのテレビ番組、そしてさまざまな雑誌や本でおなじみの料理研究家、土井善晴さん。

私が最初に土井さんのファンになったのは、黒豆のレシピでした。そう、熱い煮汁に黒豆を入れて一晩戻し、それから煮含めるという、かの有名な「失敗しない黒豆」のレシピです。
それからも、料理番組で土井さんの回を見るたびに、おいしそうな料理が魔法のように簡単に美しくできあがるのに見とれ、「これなら私にもすぐできるかも」という気に何度させられたかしれません。そして実際に作ってみると、失敗なくおいしいものができるのです。
ちなみに最近では、豆腐を水切りせずに作る「大根の白和え」(正確には大根と人参の白和え)がびっくりするほど軽く、おいしく、家族の箸も止まりませんでした。

去年の夏、NHKの連続テレビ小説「とと姉ちゃん」の影響で、久しぶりに「暮しの手帖」を読みたくなって、そのときに出ていた83号を買ってみました。そこに載っていたのが、土井善晴さんの「『汁飯香』のお話」です。
お米は洗ったら水を切り、そのままビニール袋に入れて冷蔵庫で保管しておけば、あとは炊飯器の早炊きモードで炊いてもおいしく炊けるとか、お味噌汁は出汁をとらなくても十分おいしいものができるとか、いろいろと目からウロコのお話が、土井さんの普段の柔らかい語り口そのままに伝えられていて、とても楽しい読みものでした。

この「『汁飯香』のお話」の中に要約されている一汁一菜の考え方がさらに詳しく、丁寧に書かれているのが、「一汁一菜でよいという提案」という本です。

一汁一菜でよいという提案

一汁一菜でよいという提案



「一汁一菜のすすめ」といった積極的なタイトルではなく「一汁一菜でよいという提案」という控えめなタイトル。不思議なもので、この方がかえって強く印象に残ります。

私は台所に立つのがどちらかといえば好きな方ですが、帰宅の遅い夫と小学生の子供を抱えて毎日献立を考え、食事を作り続けるのはやはり大変なことです。
ですから、この本を読み始めたときは、どちらかといえば「一汁一菜でよいのですよ。そんなにストレスを感じる必要はもうありませんよ」と、土井さんに柔らかい声で甘やかしてもらえるかな、と期待していました。
読み進めながら、確かに気が楽にもなったし、肩の力が抜けたのはそのとおりなのですが、これは決して単に読者を甘やかす本ではありませんでした。

料理番組などでも、土井さんはよく(料理の一工程ごとに)「けじめをつける」という言葉を使うのですが、おそらくこの本を通じて土井さんが説きたかったことは、食事を含む生活のけじめをつけることの大切さ、なのではないかと思います。
それは、「不摂生な生活を正しなさい」というような道徳的な意味でのけじめをつけることではありません。なんとなくそうすべきだと思い込んでいた結果、私たちの価値観を揺るがせたり縛ったりしてきた「ものの考え方」のけじめをつけることの大切さです。

多くの人が、ハレの価値観をケの食卓に持ち込み、お料理とは、テレビの食番組で紹介されるようなものでなければいけないと思い込んで、毎日の献立に悩んでいるのです。

普段の食事は食べ飽きない慎ましいものを食べて大事に備え、余裕があるときは普段とは違う食べ物を取り入れたり、ごちそうを作ったりして楽しむ。そういった暮らしの秩序を作ることで、さまざまな楽しみや喜びに気づく心や目が養われていくのではないか。
土井さんが言いたいのはそういうことではないかと思います。

私が尊敬する管理栄養士の道良寧子さん(id:doramao)が、以前、こんな記事を書いていらっしゃって、子供の食事に悩んでいた私はとても救われた記憶があります。

d.hatena.ne.jp

ここで道良寧子さんは、「1日毎に見た場合ではでこぼこであっても長い期間でみたらつじつまが合えばよいのですね。自分たちが1ヵ月間に食べたものを1食あたり均等に分けたとき、モデル献立の内容からそんなに離れていなければ良い」「食事は人生の愉しみでもあることも忘れちゃあいけない」と言います。

道良寧子さんはどらねこさんなので、暮らしのけじめといったことは一言も書かれていませんが、少なくとも食事の楽しみと栄養という点において、道良寧子さんのこの記事と土井さんの考え方は通じるものがあるように思いました。
(もちろん、体質や疾患などのために注意しなければならない食品がある人の場合は、また別に考えるべきことがあると思います)

毎日しっかり何品も作らなければならないと思うと、それだけで椅子から立ち上がりたくなくなりますが、「今日は普段のごはんを作ればよい。長い目で見て心と栄養のバランスがとれればよい」と思うと、気軽に台所に立とうという気にもなります。

毎日料理をしてきた人たちにとっては気持ちが楽になり、またごはんをつくろうと思える。
そして、これまで料理をする機会のなかった人たちにとっては、ためしにごはんをつくってみようかな、と思える。
そんな素敵な本だと思いました。

「一汁一菜の実践」のカラーページがとてもおいしそうなので必見です。

作る人が食べる人のことを考えている。料理することは、すでに愛している。食べる人はすでに愛されています。

今年もよろしくお願いいたします

去年はおととしにくらべて3つ多くブログ記事を書けたようです。
つぶやきのような記事ばかりだったにもかかわらず、読みに来てくださった皆さんに心より感謝申し上げます。

今年も同じようなつぶやき記事が多くなると思いますが、もう少し更新頻度は上げていきたいなと思っています。

どうぞゆるりとよろしくお願い申し上げます。

新しい年が皆様にとってさらによい年となりますように。